Profile: 助教授(齋藤久師/さいとう ひさし)
91年ビクターエンターテインメントより日本初のテクノユニット『ガルトデップ』でデビュー。ユニット休止後、さまざまなクラブ系ユニットに参加し海外でのディストリビュートも積極的に行う。1996年よりステージ衣装から機材など全てを完璧に模したYMOの完全コピーバンド『Yセツ王』として活動。リアルタイムにYMOを体験した熱心な固定ファンのみならず、YMOのライブを見たことのない若いファンをも獲得している。MOVE(avex)のサポートとしてのライブへの参加や、雑誌などでのレビュー執筆など多方面で活躍している。

▲SH-32
皆様こんにちは助教授こと齋藤久師です。これから3回に渡り(熱がはいってきたら延ばしましょう!)SH-32を使用したシンセ・プログラミング講座を展開させてもらうことになりました。まず第1回は私が初めてシンセサイザーに出会った頃や、現在のプライベートスタジオなどのお話を中心に始めさせていただきます。



私とシンセサイザーの出会いは今から20数年前、まだ小学生の頃でした。世の中にはまだMIDI規格が登場する前で、自動演奏にはCV(コントロール・ボルテージ)、GATE(トリガー)で動かすのが一般的でした。今のようにマルチ・ティンバー音源など無く、1楽器1音色が普通で、シーケンサーで和音を演奏させるためには大変な労力と時間を要していたのです。

そんな中、YMOの衝撃的な音に出会い、私の音楽回路は開花したのです。当時YMOは御存じローランドのマイクロコンポーザーMC-8をシーケンサーの核として、レコーディング、またはライブでその独特なシーケンシングを披露しておりました。ただしその頃の機材の値段たるや車が何台も買えてしまうような高価なものばかりで、とても小学生の私には手の届かぬ存在でした。ところがちょうどその頃、ローランドがやってくれました「10万円を切る2VCO搭載のシンセサイザー」、そうSH-2を発表したのです!!

早速溜めていたお年玉で私のファーストシンセとなる「SH-2」を購入。使いに使い倒しましたが、いまだに新しい音が出てくる宝箱のようなシンセサイザーです。


88年、巷ではまだまだロック色が強い音楽シーンの中、私はシカゴ発信の「ACID HOUSE」に出会いました。その頃、周囲の人々からは「ピコピコ君」などのあだ名でさんざんバカにされていた私には、この「ACID HOUSE」という音楽はYMO以来の衝撃でした。レコードに針を落とすと、そこにはTR-909、TR-808、TB-303のみで構成されたピコピコワールドが展開されており、「やはりボクは間違っていなかった」などと回想しつつ泣きながら(嬉し泣き)ACID HOUSEのトラックを毎日製作し続けたのでした。その結果、いよいよ90年初頭に「GULT DEP」というユニットでデビュー。その後もどんどんプライベートスタジオの機材が入れ代わりましたが、先にも御紹介したTR-909、TR-808、TB-303、VP-330、JUNO-106の音は色褪せることなく使用頻度第1位の座を守っています。



90年代半ばになると、一旦自分の中でゴリゴリテクノサウンドに対する熱が落ち着き、「やはりメロディーも必要」との解釈から初心に回帰。大好きだった「YMO」の真似ごとを始めたのはその頃です。最初は冗談のつもりで始めた「Yセツ王」でしたが、オーディエンスの情熱は我々よりもはるかに熱く、気が付くとCDをリリース、それ以上に松武さんを始め多くの素晴らしい人々との出会いをもたらしたのでした。



   
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