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| 始めに、臼井さんが音楽に触れるようになったきっかけを教えてください。 |
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臼井さん
(以下、U): |
幼稚園か、小学校1年生くらいの頃から習っていたピアノが楽器演奏の最初です。ただ、 昔カラオケなどで使っていた8トラックのカセットがありましたよね? 父親が、私が生まれた頃から童謡などを聴かせてくれていたので音楽は常に身近にあったんです。ピアノは高校生の頃までずっと習っていました。 |
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| 小学校4年生の頃にドラムと出会ったとお聞きしました、どのような経緯でドラムを始められたんでしょう。 |
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| U: |
自分がドラムをやりたいと思っていたわけではなく、4年生の時に新設校ができて、自分はそこに転校することになったんです。で、そこに赴任してこられた鈴木先生という方がバンドマンで、新設校でまだ何もない音楽室の倉庫に、自分のギターからベース、キーボード、ドラムまで全部の楽器を持ち込んでくれて、ドラムに出会ったんです。鈴木先生はもう、私の恩師というか、その人と出会わなかったら、私は音楽の世界には入らなかったという人なんですけど。鈴木先生は自分の楽器を学校に持ってくる代わりに、校長先生に「自分はこの楽器で子供たちに音楽を教えたい」と言って、学校側から許可が下りてバンド活動をするようになったんです。そのバンドでドラムを叩かせてもらったのが最初なんです。最初は5人、6人くらいで放課後に活動していたんですが、ちょっとずつメンバーが増えてピアニカをやる人が出てきたり、トランペットをやる人が増えていったりして、コンクールや学校の催し物で演奏したりしていました。私は曲によってドラム、キーボード、トランペットを演奏していました。小学校なのに朝昼夜と毎日練習し、土曜日も日曜も練習がありましたよ。 |
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| ピアノを習っていると、練習が嫌になることもあると思うのですが、臼井さんはピアノだけでなくドラムやトランペットなど、毎日練習をされていたということは音楽が好きでしょうがなかったという感じですね。 |
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| U: |
親に泣いてせがんでピアノを習わせてくれって言ったんです。幼稚園の頃に4歳、5歳くらいからピアノを習わせてもらっている人が羨ましくて仕方なかったんです。それで初めて親におねだりをしたのがピアノでしたね。なので、練習が楽しくてしょうがなかったんですよ。 |
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| では、毎日楽器を練習されていて、上達することに壁を感じたり、挫折したりということはありませんでしたか? |
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| U: |
悔しくて泣いていましたよ。練習は厳しいし、鈴木先生は小学生の私達に向かって「お前らは何のために音楽をやってるんだ?」ということを言うんですから(笑)。今じゃ考えられない話ですよね。体罰こそなかったけど、凄くスパルタだったから練習もがむしゃらにやっていましたね。 |
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| 小学校ではピアノ、ドラム、キーボードといろんな楽器を演奏されていたわけですが、中学に上がってからはドラムひと筋だったのですか? |
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| U: |
いえ、最初はトランペットもやっていました。それと、中学では吹奏楽部に入ったので、単にドラムということじゃなくてパーカッションという広い範囲でリズムを担当するようになったんですよ。ただ、中学の途中から歯を矯正してしまったので、マウスピースを当てられなくなって、トランペットは休むことになりました。 |
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| では、自分で好きな音楽を聴くようになって、憧れたドラマーはいらっしゃいましたか? |
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| U: |
高校の時にクラスメイトの女の子だけでロックバンドを結成したんです。その時最初にコピーしたのはSHOW-YAでした。ハードロックですね。角田美樹ちゃんというドラマーが自分の中では最初のアイドルでした。それまでは音楽的に好き嫌いではなくて、与えられた様々な楽曲の譜面を叩いていたので。音楽的なことを考えるようになったのは高校に入ってバンドをやっている先輩たちと交流するようになってからです。当時はブリティッシュ・ロックをやっている人が多くて、そこで初めてロックを知るようになったんです。 |
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| 女性でドラムが叩ける人は多くなかったのではないですか? |
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| U: |
そうですね。18歳の時に7、8年ドラムをやっていたので、男の子たちのバンドでもブルーハーツとかラフィンノーズとか、ああいう速いドラムが叩ける人がいないって言われて結構お手伝いしていました。 |
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| テクニック的な上達はどのような練習をされましたか? |
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| U: |
その頃はあまりドラムの練習はやっていませんでした。今思えば全然できていないんですが、ある程度どんな曲もすぐ形にできていたので(笑)。それよりも、他のメンバーに対して、みんな早くギター・ソロが弾けるようにならないかなぁとか、ベースが形にならないかなぁとか考えているほうでしたね。高校卒業後にミューズ音楽院という専門学校に入学したんですけど、そこで出会ったスコット・レイサムさん、私の師匠なんですけど、彼に出会って初めて8ビートって言葉を知ったくらいなんです。それまでは教室に習いに行ったことすらなくて、楽曲を演奏するとか、ライブをするというのがとにかく楽しくてやっていたんです。 |
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| まだ、音楽理論などは関係なく演奏を楽しんでいたということですね。 |
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| U: |
はい。専門学校に入ってからはひたすら練習しました。それまで、理論だけでなくグリップもフォームも何も知らなかったので、習ったことをひたすら練習する日々。本格的に練習を始めてからは挫折っていうか、壁を感じることも多くて。専門学校にはいろんな人がいるので、昔からアメリカン・ロックをやっていた人とかに比べると、あの音は私には出せないなぁって思ったり。だから人一倍練習すれば何とか追いつくんじゃないか、という気持ちで師匠の真似をしたり、自分の体に合うセッティングを研究したり、やるしかないという気持ちでいつもその挫折や波を越えていましたね。 |
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| 女性ということで男性のドラマーとのパワーの違いなどを感じたことはありますか? |
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| U: |
いい音を出したいという気持ちはずっとあったんですが、いい音が出せることがそのままパワーに直結するわけではないと思っていました。実際の音の良さって、強さじゃなくて音の切れだったりしますよね。だから、男性に対抗意識を持つのではなく、対等にいこうよという感じでいましたね。性格が負けず嫌いだから「ドラムが女だと格好悪い」とか言われるのが嫌で練習するということはありましたけど。 |
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| ドラムの練習は防音などの問題もありますが、専門学校時代はどのような方法で練習をされていましたか? |
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| U: |
休み時間や放課後は、頻繁に学校の練習室を使っていました。卒業してからも学校が開いてる時間に行って使わせてもらったりしていましたが、それ以外にも近所のリハーサル・スタジオに入って個人練習をしていました。 |
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| それは何年くらい続いていましたか? |
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| U: |
猛烈に練習していたのは、5年前位まででしょうか。今でも個人練習は日課としてやってますけどね。ただその頃は、今日は彼氏とデート、っていう日でも、朝1時間、2時間でも練習してからでないと気持ち悪くて出かけられなかった(笑)。今もそうですけど、練習が楽しかったんですよね。私は器用なわけでも天才でもないから、とにかく人一倍練習しなきゃと思っていたんですよね。 |
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| メロディを弾く楽器と違い、ドラムは1人で演奏していてもあまり楽しくないのではと思うのですが、どうやってそのモチベーションも維持していたのですか。 |
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| U: |
どうやっていたんでしょうね……。高校時代は好きで演奏していただけでしたが、実際に専門学校で教えてもらうようになってからドラムの奥深さを知ったからでしょうか。同じ8ビートや16ビートでもその国によって独特のなまりがあったりするんですよ。そういう、いろんな音色やグルーヴが分かるようになってからはさらに楽しくなって、できる限りたくさんのものを出してみたいと思うようになったんです。練習だけでなく人の演奏を聴くのも楽しくて、凄くたくさんライブも観に行くようになりました。その頃から、いいドラマーがいたらできるだけ声をかけるようにしているんです。そうして仲良くさせてもらって、ローディーをやったり、次のライブにタダで招待してもらったり、ずうずうしいんですよ(笑)。 |
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| ドラムに限らず、音楽で影響を受けた人はいらっしゃいますか? |
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| U: |
タワー・オブ・パワーです。これで私のファンク・ビートが目覚めたんです。この出会いは大きくて、よりキレのあるタイトなグルーヴを追求するきっかけになりました。デヴィット・ガリバルディの教則本も好きで、N.Y.に行った時は買っています。あとは、18、19歳の頃はハービー・ハンコックやチック・コリア等のインストのジャズやフュージョンなども練習しました。プログレッシブ・ジャズやビックバンド系のドラムって難しいから、技術を磨こうと思ってそういう音楽も追究していましたね。あとは、スティーブ・ガット、スティーブ・フェローン、そしてジェフ・ポーカロですね。バンドのドラマーよりセッション・ドラマーの方に憧れていました。彼らの音楽を聴いて写譜をするのが趣味、という18歳(笑)。 今はスティーブ・ジョーダンが最高に好きで、女スティーブ・ジョーダンを目指しているんです。 |
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