1961年札幌生まれ。1987年よりAMAZONS・当山ひとみ・GWINKOといったアーティストへの楽曲の提供を開始。1988年久保田利伸・AMAZONS・GWINKO・バブルガムブラザーズらと共に 「NEW BLOOD」に参加し、1989年にシングル「Let's A・B・C」でデビュー。91年以降も数々の アーティストに楽曲提供、プロデューサーとしても活動を続け、1993年よりm.c.A・Tの全面プロデュースを担当。現在もDA PUMP、BETCHIN'、Psycho le Cému などへの楽曲提供、プロデューサーとして活躍中。

今回のインタビューは富樫明生さんの登場です。アーティストとしてのm.c.A・Tはもとより、若手アーティストのプロデュースで絶大な信頼を集める富樫さん、その客観的視点でどのように音楽制作に取り組み、自らの音楽スタイルを確立してきたのか、MC Clubがプロデューサー「富樫明生」に迫ります!

まず、音楽を聴き始めた頃からの事をお聞きしたいのですが、富樫さんが幼少の頃はどういった音楽がお好きでしたか?

富樫(以下T)
僕の家庭では外国の音楽はほとんど入ってこなかったので、やはりTVの歌番組が好きでよく観ていました。小学生の頃は西城秀樹さん、ピンクレディーとか歌謡曲一辺倒で、中学生になってからはフォークを聴き、フォーク・ギターをやっていました。北海道は松山千春さんがデビューされていたのでフォーク・ソングの影響を受けた人が多かったんです。

ご自身で音楽制作を始めたのもその頃ですか?
T) 自分の音楽を作り始めたのは10代後半の頃でした。フォーク・ソングを作曲して、歌もギターも全部自分でやっていました。

フォーク・ソング以外に影響を受けた楽曲やアーティストはいらっしゃらなかったのでしょうか?
T) 16歳の時にドナ・サマーを聴いて、とてもビックリしたんですよねぇ。僕はその鮮烈なイメージのせいで、それをブラック・ミュージックだと思っていて(笑)、以来あれこれ調べて昔のブラック・ミュージックまで遡って聴くようになったんです。その時からファンクひと筋ですね。

同じ頃、世代的にはYMOの人気もすごかったんじゃないでしょうか?
T) 高校時代にはすごい人気でしたね。僕もファンクを一生懸命聴いている合間に、かっこいいと思って聴いていました。でも、当時はシンセサイザーがとても高くってね、友人が持っていたSH-5を借りて、自分のカセット・レコーダーでシンセ・ドラム、ベースと順々にピンポン録音をして、最後に自分の歌を録音して曲を作っていました。友達の家は歩いて30分くらいの場所にあったんですが、ハード・ケースに入った25kgくらいあるシンセサイザーを1人では持てなくて、「雪だからいいかぁ」と思って引きずって持って帰りましたよ(笑)。

初めて買ったローランド製品は何か憶えていらっしゃいますか?
T) 大学入学の頃にローランドのSH-2とボスのドクター・リズムDR-55を買ったのが最初です。「これでなんでもできるぞ!」と思いましたよ。

演奏活動についてお伺いしたいのですが、中学でフォーク・ギターの演奏を始めた頃、バンドとして演奏活動もされていたのですか?
T) 中学・高校時代は学園祭で演奏する程度でした。バンド活動を始めたのは大学に行ってからです。軽音楽部に入ってバンドを組みました。

東京に来られたのは進学のためですか。
T) いえ、僕は旭川の教育大学に進学しました。小学校の先生になりたかったんです。教員免許も4つ持っていますが、使っていないですね(笑)。東京に出てくるきっかけになったのは、大学卒業の頃に僕がキーボードと歌でシンセ・ギターとシンセ・ドラム担当のメンバーを入れたアキオ・ワンダーというバンドをやっていたんです。これが結構人気があっていろいろなコンテストで賞をとっていたんです。そのコンテストのひとつを東京から観に来てくださったかたがいて、その方に声をかけられて僕ひとりが上京する事になったんですよ。

87年からコンポーザーとしてプロのお仕事をされていますが、これはその時声をかけられたのがきっかけですか?
T) いえ、そのお話は上京したあと急になくなってしまったんですよ(笑)。僕はすぐにデビューできるものだと思って、洋服と機材と自分の曲が入っているカセット・テープしか持ってこなかったので、いきなり仕事がなくなって「なんで東京に出てきてからこんな事をしなきゃいけないのかなぁ」と思いつつ、そのテープの中から10曲をダビングしてレコード会社10社に送ったんです。そしたらそのうちの7社から連絡があって、その中で一番親身になってくれそうなところを選んだんです。

当時はプロデューサーやコンポーザーとしてではなく演奏者として活動する事を希望されていたんですか?
T) もちろん! その頃は久保田利伸もブレイクしていて、同じ事務所だったので楽曲提供イコール裏方さんではなく、プロデュースもできるアーティストという売り込みでやっていました。

楽曲制作の中ではよくSP-808やVP-9000をお使いいただいたそうですが、どのような点が気に入られたんでしょうか。

T) SP-808の使用歴はかなり長くて、SP-808EXも買いましたよ。仕事で使ったのはエイベックスの10周年で、m.c.A・T&浜崎あゆみフィーチャリングBETCHIN'というプロジェクトが最初です。VP-9000は、最初に使った時は音程を変えずに速さを変えられるなんてビックリしましたよ。ジャミロクワイも使っているらしいじゃないですか。

最近では新製品のFantom-Sを購入されたそうですが、使ってみた印象はいかがですか?
T) カッコいい! 電源を入れて画面をみてビックリしました(笑)。パッドがキーボードについているのはとても魅力的です。それから、作業中ずっと録音していてくれるなんてすごいですよね。弾いていて“あっ、今のもう一回”と思ったらスキップバックしてもう一度聴ける。まだ、一昨日届いたばかりなので細かくいじってはいないんですけど、もうメインにセッティングしてあります。メモリーもフルにしましたし、今年は大活躍すると思います。

具体的にFantom-Sを使ってお仕事をするご予定がありますか?
T) Psycho le Cému というバンドのプロデュースをするので、彼らの曲で使う予定です。

かなりのローランド製品をお使いになられているようですが、どういった点が気に入られてお使いになられているんでしょう。

T)
自分のイメージや音に合うんですよね。アマチュアの頃からずっと慣れ親しんできたのがローランド製品だったし、お金がなくて欲しい機材が買えなかった時も憧れの機材はローランドでした。そのせいか、外国製の高い機材はあまり買わないんですよ。外国製品恐怖症っていうのもあるんですけどね(笑)。



   
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