Profile:SUGIZO
1992年にLUNA SEAのギタリスト、コンポーザーとしてメジャー・デビュー。LUNA SEA充電期間中の1997年にシングル「LUCIFER」でソロ・アーティストとしての活動を始める。その後も、ソロ活動をはじめ数多くのアーティストのプロデュースを手がけつつ、2001年のLUNA SEA解散後は本格的にソロ活動を再開。2002年にはジャム・バンドSHAGを、2004年にはユニットTheFLAREを結成。コンテンポラリーダンス音楽、映画音楽監督・主演など多岐に渡る活動を行っている。
 
今回のインタビューはギタリストとして、また作曲家として活躍されているSUGIZOさんの登場です。都内某所にあるSUGIZOさんのスタジオを訪ね、子供時代から現在まで、SUGIZOさんの中心に流れる音楽観から作曲法、機材についてのお話を伺ってきました。

 
まず最初に、音楽に興味を持ったキッカケを教えてください。
SUGIZOさん
(以下S):
親がクラシックのプレイヤーなので、3歳の頃からヴァイオリンをやらされていて、気がついたらヴァイオリンを弾いていたという感じです。
最初はクラシックを勉強されていたんですね。
S: 小学校1年生くらいから1日2〜3時間、間違えたら叩かれるみたいな、とにかく厳しい練習をさせられていたので、毎日ボロボロ泣きながら練習をしていたんです。それでクラシックが嫌い、そして何よりも音楽が嫌いな少年でした。
 
音楽自体が嫌いだったんですか。
S: はい。音楽が嫌いで、そこから逃げたいとばかり思っている子供でした。でも、そのうちに初めて好きなアーティストができた。「勝手にしやがれ」の頃の沢田研二さんで、凄くカッコよかったんです。小学2年くらいの頃は、家ではクラシックの英才教育を受けて、学校ではジュリーの真似をして歌っているような子供になりました。それで「大人になったら化粧をするんだ、 綺麗になるんだ 」って思っていました。そうするとクラシックもだんだん嫌いじゃなくなってきたんです。子供ながらに嫌いな理由が分かったんですね。無理やり、好きでもない曲をやらされるから嫌いなんだ。やりたくないのに演奏して、間違えたら怒られるなんてあり得ないよな、と思って。だったら、自分の音楽を作ればいんじゃないか、作曲家になろうと思い始めたんです。
 
小学校2、3年生で作曲家になりたいと考え始めたんですか?
S: そうですね。小学2年くらいの頃はとにかくベートーヴェンが好きで、もう少し大きくなってからはバルトークが好きで。そうやって音楽に興味が湧いてきた頃に、親父が収集して作っていたオムニバス・テープを貰って聴いたんですが、それに本当にハマりまくって、それこそ小学生時代の生活のサウンドトラックでした。その中には映画『風と共に去りぬ』のテーマ、 『黒いオルフェ』や『男と女』などのボサなものなど、5〜60年代の映画音楽や、バート・バカラックの曲、あとは70年代のフィラデルフィア・ソウル的な軽い感じのものやビートルズのオーケストラ版が入っていたりして、凄く影響されました。もちろん、子供の頃はそんな名前知らなかったから、大人になって「あ、この曲はバート・バカラックの曲だったんだ!」って気づくんですけどね。
 
 
では、ずっとヴァイオリンをやっていて、ギターを演奏するようになるのは、どういった経緯でしたか?
S: 小学校5年生くらいでスネークマン・ショーが凄く好きになって、中1の時にYMOにノックアウトされるんです。当時はYMOとRC サクセションが好きでした。でもテクノとニューウェーヴにハマったのに、なぜか最初にアコギを買ってしまうんですよね。そのアコギ、さっぱり良さが分からなくて放ったらかしにしちゃって。次にベースを買ってのめりこんだので、最初はベーシストでした。
 
ベースを始めた当時はバンドを組んでアーティストのコピーなどをされていたんですか?
S: コピーはしていなかったですね。中学生の頃は自分の中にある音楽の宇宙を拡張していく旅をしていて、外とは完全にシャット・アウトしていたんです。学校が嫌いで友達もほとんどいないし、仲間でツッパってエネルギーを爆発させるわけでもなく、真面目なわけでもなく……。凄く嫌な中学生でした。デヴィッド・ボウイやデヴィッド・シルヴィアンが凄く好きだったから、学校に口紅付けて行って怒られたり、いわゆるゲイに凄く憧れていたり。精神的にもスタイルとしても、音楽や楽器、ボキャブラリーにしても自分の人生の中で一番屈折していたのは中学生の頃だったと思います。
 
デヴィッド・ボウイやデヴィッド・シルヴィアンは本当にキレイでしたからね。
S: だからヘヴィメタの人たちは凄く嫌いだった。むさくるしいし、胸毛生えてるし、髪の毛黒くて長髪なんて耐えられない、って(笑)。何よりも陶酔しきった顔でチョーキングしてる姿が本当に嫌でした。だから自分が後々そうなるなんて想像できなかったです。
 
その当時はベースを持っていたけど人とは演らず、どんどん1人の世界に入っていったような感じですか?
S: そうですね。自分を追い込む、とにかく孤独な状態でした。 自分の表現ツールがギターに辿り着くまでの中学時代は、自分が何かを産んでいくための身体の一部をずっと探していく旅でしたね。高校に入ってから「杉原はロックが分かって凄く音楽ができる奴だ」って噂になって、先輩からバンドに誘われるようになって、ベーシストとしてバンドを始めるんです。その時にバンドのギタリストの先輩の演奏を見て、「作曲をするにはやっぱりギターが一番向いているな」って思って、そこでやっとエレキを手にするんです。やっぱり一番やりたかったことは作曲なので。細野晴臣さんやジャコ(・パストリアス)、ミック・カーンが好きだったので耳はベースにイクんですけど、作曲に関してはやっぱりギターだ!と思いスイッチしたんです。それが高校2年の最初くらいでした。ちょうど今年でギターで人生を貫こうと決めてから20周年記念なんですよ(笑)。
 
ギターを持って20周年、重要な年ですね。作曲についてもギターを持ったことが大きな変化に繋がったわけですよね。
S: そうですね。でも最初は、作曲うんぬんやルックスよりも、まずはギターの腕を磨くことが一番でした。クラシックをやっていたので楽器を持ったらとにかく鍛錬することが当たり前だったんですね。学校の授業中でも弾いてたし、寝ながらも弾いてたし、とにかくギター一色の生活を送っていました。
 
 
演奏技術とは別に、音作りにも苦労はされませんでしたか? 当時、どんなエフェクターを使えばこういう音になるといった情報も少なかったのではと思うのですが。
 
S: さっきもお話したように、ハード・ロック、ヘヴィ・メタルが大嫌いだったんですが、ただモトリー・クルーだけはカッコいいと思っていて、ギターにスイッチした頃はL.Aメタル全盛期だったこともあって、大嫌いだったけど、僕が学生だった当時の少ない情報量の中ではギター上達のための一番のエクササイズになる音楽はハード・ロックだと思って突っ込んでいったんです。 モトリー・クルー、ラット、ヴァン・ヘイレン、そしてスティーヴ・ヴァイ等に傾倒して。特にヴァイがなぜ好きだったかというと、他のギタリストよりアバンギャルドだったからで、そしてもっとハマったのがミッシング・パーソンズのウォーレン・ククレロ。結局どんどんサウンド・フェチになっていっちゃった。

元々僕はYMOが凄く好きだったから、プレイのテクニカル方面よりサウンドやムードから入っていくタイプなんですね。そこと融合していって、だんだんエフェクター・フェチになっていって、僕の学生時代の一番重要なエフェクター、DD-2に会うんですね。アレで僕のギター・スタイルが決まったような気がします。手にした時は衝撃で、いきなり宇宙が広がったような気がしました。ディレイを酷使しながら、どうやって耳触りの新しい音を作っていくか、すべてDD-2で学んだんです。今でこそ符点8分でシーケンス・プレイって普通にあるけど、当時はあまり聴かなくて、それができた時「うわぁ、これ、YMOのシーケンスみたいだ!」って盛り上がったりして。その後は「サウンドのカラーをこれだけ変えられるんだ」ってPS-2にハマったり。とにかくギターでシンセみたいなことをしたかったんです。
 
本格的に曲作りをされたのはその頃からですか?
S: 小学生の時にベートーヴェンやバッハ に憧れて、それの真似事みたいな感じで譜面に書いていましたけど、ちゃんと人前で演奏する曲を作るようになったのは17歳くらいですね。
 
ご自身で作った曲は、バンドを組んで演奏をされていたんですか?
S: その頃凄く仲が良かった奴に、LUNA SEAでも一緒に活動した真矢がいて、彼がドラムを始めたんです。絶対プロになるって言って真矢と共に本気で組んだバンドがあって、そのバンドでオリジナル曲を書くようになりました。当時の音はメチャメチャ速いスラッシュ・メタル的なものと、当時全盛だったレッド・ウォーリアーズ的なロックンロール。それにデッド・エンド的なニューウェーブなメタル感を出したような感じでした。
 
では、曲作りについてさらにお聞きします。曲のイメージはどのような時に浮かぶのでしょうか。
S: 基本的に普段の生活が曲を作るモードなので、その中から浮かんできたものを形にすることもあるし、曲を作らなきゃ、やるぞ、と思って作る時もあるし。最近はギターを持つと同時にMACを前にすることが多いですが。自分の曲を作り始めた当初は、一番大切だったのはヴォイシング、響きでしたね。当時からロック・ギターの響きってつまんねぇなと思っていたんです。ヘヴィ・メタルやハード・ロックが全盛の頃は、いわゆるパワー・コードが主流だったんですが、それが嫌いだった。もともとジャコやマイルスが好きだったので本当に響きの豊かさや、ヴォイシングに執着していました。とにかく気持ちいいテンションのコードを探していましたね。今となってはたくさんコードを知っていて自分の中に蓄積されているので、それがまたつまんない。また新しいものを発見したいんですけどね。当時は1つのコードを覚える度に曲を書いているような感じでした。
 
作曲に関してワークフローはありますか?
S: それは本当にユニットや曲によるんですよね。いわゆるロックンロールの方向だとメロディやコードワークからできるし、アブストラクトなもの、例えばサントラを作ったりする時は気持ちいいループを探すことから始まります。でも、普通の打ち込みだとキックやリズムループから探すことが多いと思いますが、僕の場合は、上モノのアンビエント的なものから探すことが多いです。リズムじゃないもの、音色から探す。音色のフローしているものに全く違うところからループを持ってくると、新しいものができたなと感じることが多くて、そこにギターを弾いちゃえばフィニッシュという場合が多いです。
 



   
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