清水ミチコ
岐阜県高山市出身。タレント。文教女子短大卒業後1983年よりラジオ番組の構成作家としてデビュー。次第に自らも番組などに出演、1986年渋谷ジャンジャンでのライブをきっかけに芸能界デビューした。モノマネや顔マネ、ピアノを使った音楽コントなどやフジテレビ系「笑っていいとも」「夢で逢えたら」レギュラー出演で人気を不動のものにする。1987年ファースト・アルバム『幸せの骨頂』でCDデビュー。1988年にはゴールデンアロー賞 芸能新人賞、リーボックベストフットワーカーズ大賞を受賞。現在は、テレビのバラエティ番組やラジオのパーソナリティを始め、ライブや学園祭などでも活躍している。また、Webマガジン「ほぼ日刊イトイ新聞」や雑誌「TV Bros」他での連載や著書も多数。


清水さんは最初はお勤めをされていて、その後構成作家を始められたのがメディアに関わるようになった始まりですよね?
デリカテッセン(お惣菜屋さん)でバイトをしながら構成作家の仕事をしていたんです。両方やっていたのは単にお金がなかったからですね。でも2つの仕事をしていたことは本当に良かったと思います。デリカテッセンで働いている時に発想が出てくるんですよ。それを生かそうと思って夜にネタを書くんですけど、凄く楽しく書いていました。今はあんなに楽しく書いていないなぁ、って思います。

構成作家になるための勉強をしたんですか。
勉強はしてませんね、偶然ですよ。デリカテッセンの女将さんに、親戚に構成作家を探している人がいるって言われて、その頃私が雑誌の『びっくりハウス』って分かります? それに投稿したりしていて「こんなのすぐ採用されるんじゃん」って天狗だったので、じゃあ私がって……(笑)。で、原稿を書いてみてくださいという話になって、すぐ採用されて始めるようになったんです。

では裏方から表に立つようになる転機は?
渋谷のジァンジァンでのライブが自分ではデビューだと思っています。それまでもラジオに出演していたんですけど、顔が出ないから凄く気が楽だったんですよ。

TVでは顔が出るぶん「清水ミチコ」という違う人格を演じているような部分はあるんですか。
そうでもないかな。わりと自然な人格なんだけど、普段よりテンションは高くしていますね。テンションが高いと面白いことが思い浮かびやすいんですよ。他の方でも、藤井隆さんなんかも「普段はこんなに元気のない人なんですね」ってよく言われるそうなんですよ。だから人前に出る者として、特に芸人さんはテンション高くないとダメだと思うんです。もう少し子供になるっていうか、ワーイワーイってはしゃぐのも、普段はもう恥ずかしくてできないですけど、TVだとできちゃうようなところがありますね。

弾き語りでモノマネを始めたのは、やってみたら上手かったからとかウケたから、っていうのが理由ですか?
うん、そうですね……、自分で言っちゃった(笑)。矢野顕子さんとかは高校の時に物凄く好きで、とり憑かれたように部屋で弾いて歌ってたんだけど、クラスメイトは似てるかどうかの前に矢野顕子を知らなかった。そこで「私がどんなに似てるか聴いてくれよ」って言ってレコードを貸したりしたんですけど、やっぱり興味がないとダメなんですよね(笑)。逆にユーミンだと物凄く喜ばれて人前でもやるようになったんです。

でも友達の前と不特定多数の前でやるのとでは気負いが違いますよね。
始めてライブハウスでやった時は、観に来ているお客さんの半分以上が私よりピアノとか上手いんだろうなぁとか考え始めちゃって、いつもより指が動かなくなって変な自己嫌悪に陥っちゃった。今はヘタウマでいいんだって思えるようになったので、下手なりにひとつの完成形ができればと思っています。




ピアノはいつ頃から始めたんですか。また、きっかけは何でしたか?
最初に始めたのはオルガンだったんですよ。隣の家の子が練習しているピアノが聞こえてきていたんですが、いつも間違える箇所があって、遊びに行った時に「こういう風に……」って教えていたら、おばさんに「この子、凄い! すぐ習いに行ったほうがいいよ」と言われたんです。で、通い始めたのが町のピアノ教室だったんですが、自分としてはせっかちだから早く弾きたいのに、マニュアルにそってレクチャーがあるから自由に弾けなくてすぐ辞めちゃったんです。それからはずっと学校の音楽室に行ってグランド・ピアノを弾いていました。


音楽はどんなものから聴き始めたんですか? お父様はジャズのプレイヤーだと伺ったんですが。
父はプレイヤーっていうか、公民館とかで演奏するような地元のアマチュアで、家はジャズ喫茶なんですけど、畳の上にウッドベースが置いてあるような家で(笑)。だからジャズは子供の頃から何となく聞こえてきてはいましたが、一番好きで意識して聴いていたのは歌謡曲でした。その頃はレコードが本当に高かったので、友達と貸しっこして、回し聴きしていました。レコードを買うというよりは、TVの前で集中して聴く子供でした。カセットレコーダーでTVの音を録音して、それを編集したりする作業は凄く幸せだったなぁ。

清水さんは絶対音感をお持ちだとお聞きしたんですが。
やや音感かな(笑)? 音楽的な創造性の役には立たないけど音が分かるっていうだけのものなんですよ。でもそれは日本人の20人に1人位はいるって聞きましたよ。

学生時代にバンドを組んだことはありますか?
友達が歌謡曲を歌うのに合わせてピアノを弾いたりして遊んではいましたが、バンドはやっていませんでした。高1の時に音楽大学に行こうと決心して2年間先生についてレッスンをしたんですが、高3になって突然「音楽を専門的に習う学校に行ったら私は音楽と離れてしまう」って思い始めて辞めてしまったんです。それはけっこう正しかったような気がしていて、自分が好きでやっていることが義務になってしまうと練習もしなきゃいけないし、好きっていう気持ちだけじゃなくなってしまいますから。

音大に行くのを辞めてから、プロのプレイヤーとして音楽に関わろうと思ったことはないんですか。
バラエティの中でピアノを使うくらいだったら気が楽ですけど、プロ意識を持って音楽だけでとなると、ダメだったなぁ。渡辺香津美さんなんかと一緒にやらせてもらったことがあるんですけど、全然違うんですよ(笑)。やっぱりバラエティ畑で弾ける程度ならヘタウマでもいいんですけど、プロの人と一緒にやると「あれ、こんなに下手だったんだなぁ」って。バンド経験もないしずっと1人で好きなように弾いていたから、一緒にやるっていうモードがないんですよ。

CDもアルバム5枚出されていますが、作る時はどういう過程で作業するんですか?
1stの時はそれまでのネタの中で面白いやつを選りすぐりで入れてしまおうって、余裕綽々でできたんです。今聴くとそんなに似てないなと思うモノマネもあるんですが、その人の幸せそうな雰囲気が伝わってきて自分の中では好きなアルバムですね。でも2枚目3枚目になってくるとだんだん苦しくなってきて、今は全然出していない状態に(笑)。でもこの4月からはもう一度作ろうと思っているところなんですが、まだメーカーが決まってない。レコード会社のかたで興味のある方は御連絡ください(笑)。


 

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