sembello
田中邦和(サックス)と沖祐市(ピアノ)の2人によるデュオバンド。2000年秋のJUSTA NIGHTでのセッションをきっかけに結成された。2人の漢(おとこ)によって奏でられる音楽は、時に激しく、時に切なく、人力(マンパワー)によって生まれる音の波動で聴く者の心を掴み、そして揺さぶる。神出鬼没ながらもオリジナル・チューンを中心に都内各地のクラブ、ロックフェスティバルなどに出演、熱狂的な支持を集める。2003年に1stアルバム『sembellogy』をリリース。2004年には待望の2ndアルバム『the second album』をリリースした。
http://www.sembello-web.com/
 
インタビューはsembelloのお2人の登場です。以前から沖さんはsembelloのライブでRD-700を使われていましたが、今回は新製品のRD-700SXを使用して初めてのライブということで、さっそくライブ会場へ伺いました。楽器のことはもちろん、音楽的背景やプロ意識についてなど、幅広く音楽について語っていただきました。
 


まず、お2人がユニットを結成した経緯をお聞かせください
田中(以下T): 新宿のロフトというライブハウスでスカのイベントがあって、そのイベントでデュオのセッションをしたのが最初です。そのセッションでも、ただカバー曲を演奏するだけじゃつまらないので、一度僕の家でリハをして曲を作ってライブをやったんですが、それが凄く面白くて。一度で終わらせるのはもったいないなって話になって、イベントの後、また集まって曲を作って、デモをレコード会社に「聴いてください」って持ち込んだんです(笑)。

最初からインストゥルメンタルの、ジャズ系の曲を演奏する今のバンドスタイルを想像していたんですか?
T: どうでしょうか……。一番最初に作った曲は今も演奏していますけど、やれることやっているって感じです。2人でインストなんだけど、分かりやすくポップでありたいと思います。

では、音楽を始めた頃の話に遡りますが、沖さんが影響を受けたアーティストはいらっしゃいますか?
沖(以下O): 中学生くらいの頃は普通のロックですね。チープトリックとかクイーン、AC/DCとかを聴いていましたよ。
楽器を始めたきっかけは何ですか?
O: 子供の時にピアノを習わせてもらったことが、ピアノを弾くキッカケになっていまして、中学生の頃に音楽が好きになって、自分からいろいろ音楽を聴くようになってからはバンドを組んで、音楽とバンドに目覚めた感じです。

バンド活動に目覚めてからは、先ほど話をされたようなチープトリックなどのロックのコピー・バンドをされたんでしょうか?
O: ええ、手当りしだいにカバーをやっていました。ビリー・ジョエルとかそういったものもカバーしまして。それで、スティングをカバーしてから、ジャズっぽいものもカッコいいなと思うようになったんですかね。
ずっとピアノを弾いていらっしゃるんですか?
O: 今はスカパラでオルガンとピアノがメインなんですけど、シンセも昔から大好きです。ずいぶん昔、高校生の頃にJX-3Pっていうのを買って使いましたね。これは僕が一番最初に買ったシンセです。
ローランド(以下R):JX-3Pには、PG-100というエディターが別に付いていましたが。 
O: ああ、一緒に買いましたね。あれがないと少し不便でしたから。音作りは、お茶の水で本を買ってきて、調べながらいろいろやりました。世代的にYMOを聴いていたのでシンセに自然に入りましたし、僕と同じように鍵盤奏者で“バンドを始めたらシンセを使いたい”と思って買った人は多いと思います。

田中さんも最初からサックスを演奏されているんですか?
T: 僕も子供の頃に、何年か、強制的にピアノを習わせてもらっていた頃がありまして。でもやっぱり向いてなかったんでしょうね、4〜5年で辞めちゃったんですよ。その後は何にもしていなかったんですけど、高校で吹奏楽部に入って、サックスを買ったんです。吹奏楽に入った理由は部室でバンドの練習ができたからなんですけどね。それからあまり人には言っていないけど、その頃ベースも買っていました(笑)。
O: まじで(笑)!
T: 本当、だって俺、ヴァン・ヘイレンの曲とか弾いたことあるもん。でも、それも1年くらいで辞めちゃった。サックスのほうが面白かったんですね。

なぜサックスを選ばれたんですか?
T: 不思議なんですけどね。音色に惹かれて、楽器をやるんだったらコレだ、 と直感的に思ったのでしょう。
憧れたサックス奏者はいらっしゃいますか?
T: 誰だろう……、スーパートランプのサックスの人は好きだよ。あと、ブルース・ブラザーズのルー・マリーニ。高校に入った時はフュージョンの全盛期だったので、マイケル・ブレッカーとかは聴いていましたけど。あと清水靖晃さんが大好きで、マライアも聴いていたなあ。何かひとつのジャンルを深くではなく、いろんなジャンルを薄く広く聴いていたんです。当時は貸レコード屋があった時代なので、買う前にお試しでいろんなレコードが聴けましたから。

高校生の頃はどんな練習をされていましたか?
O: 高校の時は練習というよりも、とにかく音楽が好きで、たくさん聴いてハマり込んでいました。音楽に逃避というか、何かを求めていたような感じです。
T: 勉強するのは面白くないもんね。
O: うん。だから技術云々より先に音楽や楽器を好きになっちゃったぶん、後でテクニックをどうしようかなって考える時期もありました。

では、プロになったキッカケはどのようなものだったのでしょうか?
O: 僕の場合は、確かにプロなんですけど、巡り合わせというか。スカパラという巡り合わせがあって楽しんでやっているうちにこうなっていた。バンドパワーみたいなものがあると思うんですけど、それが今でも続いている感じがするんです。
T: バンドを企業みたいにいうと、スカパラに在籍していたら、そのうちスカパラが会社になって上場しちゃったみたいなところはあるよね(笑)。
O: 結果的に(笑)。
T: でも、スカパラは類い稀なる運命と、人の集まりだよね。よくあれだけのメンバーが集まったなって思うもん。
O: 人数が多いのでいろんな人が集まりやすいってところは面白いかも。メンバーじゃない人もメンバーみたいで。しまいにはお客さんもスカパラみたいな気持ちになっています(笑)。プロ意識も持とうとは思うんですけど、それとは別の次元で、スカパラにはバンドパワーが確実にありますね。

田中さんがプロになったきっかけはどのようなものですか?
T: 俺は大学を卒業して、普通に就職をして趣味で音楽をやっていましたが、いつの間にかこうなっていたんですよね。プロになるにはまずは「私はミュージシャンです」って自称することです(笑)。他に仕事をやっていなくて音楽で少しでもお金が入ってくればプロですから。好きで続けてればどうにかなるって感じですか。プロになるのに「これだ!」っていう方法はないし。好きで続けていたら、何かしら僕に魅力を見つけてくれた人が声をかけてくれて一緒にできるようになって、それが人の輪を作っていく。楽器を持った“わらしべ長者”みたい。
O: 僕の場合も、いつからプロになったかという確固たる境界線がなくて、それで「中途半端なままで仕事していていいのかな?」「もっとあんなふうにしておけばよかった」、って思うこともありますよ。でも、それにちゃんと気が付いたんですね。それ以降は、「今、やろう」っていう気持ちを持ち続けているんです。



   
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