SEAMO
1995年より地元名古屋、東海地区を中心にシーモネーターとしてインディーズ活動を初め、同地区におけるヒップホップの新しいスタイル、ムーブメントを確立。その後、若きヒップホップ・アーティストとのチーム「男塾」を結成(現在も名古屋では“塾長”の愛称で親しまれている)。2001年には、現在も多くの観客動員を誇るモンスターイベント「名古屋 男尻祭り」のオーガナイズをスタート。2002年、ソニー・レコーズより待望のメジャーデビュー。その後も過激かつ、精力的に活動を続ける。同郷のnobodyknows+やHOME MADE 家族なども参加した自身の作品のリリースだけでなく、BENNIE K、CHEMISTRY、加藤ミリヤ、RYO(ケツメイシ)などと数々のアーティストとのコラボレーションも果たし、広くリスペクトを集める。そして2005年、シーモネーターとしての活動はやりつくしたとの思いからアーティスト名をSEAMOに改名。3月23日に1stシングル「関白」をリリース。7月13日にリリースした「DRIVE」では全国FM20局でパワー・プレイを獲得。10月12日にSEAMO with BENNIE Kで3rdシングル「a love story」、10月26日に1stアルバム『Get Back On Stage』をリリース。


今回は日本のヒップホップ界の牽引車ともいうべきSEAMOさんの登場です。また当日は一緒にライブや音作りに参加しているDJ TAICHIさんも参加してのインタビューとなりました。取材陣は名古屋に赴き、お2人にホットなお話を伺いました。
 
 
最初に、お2人で活動を始められたきっかけを教えてください。
SEAMOさん
(以下S):
名古屋の「LUSH」という老舗クラブがあるんですが、ベテランDJに混じって若い奴らもイベントをやっているんです。その若い奴らがやっているイベントの1つに僕が遊びに行った時にTAICHIがDJをやっていて、そこでスカウトしたんです。
DJ TAICHIさん
(以下T):
SEAMOさんは僕がステージの下でずっと見ていた人、憧れの人でしたから、正直「僕でいいのかな?」って思いましたね。それにクラブDJとしてしか活動していなかったので不安はありました。だけど話をもらったからには喜んでやろうと思いました。
S:
今までやってきた相方は制作がメインのDJが多かったんですが、僕はパフォーマンスを重視したかったんです。TAICHIはスクラッチも含めてライブパフォーマンスが優れていたんですよ。もちろん若い奴が良かったし、現場での幅が広がると思ったのでTAICHIをスカウトしたんです。
 
お2人の音楽的背景はどのようなものなのでしょうか?
S: 個人的にはダンスからブラック・ミュージックに興味を持ち始めたんです。もっとさかのぼると「ダンス甲子園」というテレビ番組がブームになったことがあって、その頃M.C.HAMMERとかBobby Brownとかが好きで。たぶん今ヒップホップをやっている人たちにとってM.C.HAMMERという名前は自分の歴史を語る上で恥ずかしいかも知れないけど、僕はそういうこともバンバン言っちゃいます(笑)。彼のファッションもカッコいいと思っていたし、ラップというものを始めて認識したのも彼なんですよ。だから僕の中ではその時のイメージのままで、ラップできる人イコール踊れる人なんですよね。まずはダンスからこういう世界に入って来たんですが、バックダンサーじゃなくて、もっと前に出たい、という気持ちがあったので、だったらラップだ、ってマイクを持って歌い始めたのがミュージシャンとして活動を始めたキッカケです。
 
その後はどのようなアーティストを聴いていらっしゃいましたか?
S: まあ、みんなが知っているようなヒットチャートにも出てくるような音楽から入っていったんですが、90年代初頭のDe La SoulとかJungle Brothers、A Tribe Called Quest、House Of Pain、Beastie Boysもそうですが、Naughty By NatureとかRUN D.M.C.とか、今でもカッコいいとされるアーティストを復習していった感じです。
T: 僕はストリートでスケボーをやっていたんです。物心がついた時から雑誌やテレビ、ラジオでヒップホップ・カルチャーを感じていました。当時スケボーやる奴らみんなが読んでいた雑誌があって、それにヒップホップのライブ写真がバーッと載っていたんですけど、MCがいてDJがいて、っていうスタイルがカッコよくて。また、ラジオでかかっている曲もヒップホップばかりが異様にカッコよく聴こえたんですよね。それでヒップホップ・サウンドに興味を持ち始めたんですが、まだ中学生だったので全然お金がなくて、高校に入ったら絶対DJになってやるって思って、バイトしてターンテーブルを買ってDJを始めたんです。
 
当時聴いていたのはどのようなアーティストでしたか?
T: 90年代前半とかが好きで、Method Man、NASSOUの1stとかは死ぬほど聴きましたね。
 
実際に自らがパフォーマーになっていく過程で、技術の習得のため練習が必要になってくると思いますが、どのような方法で練習をされましたか?
S: ダンスに関してはストリートでラジカセを持って仲間と踊ったり、クラブに遊びに行って音を聴きました。やっぱりクラブで遊ぶというのは1つの練習場所でしたね。ラッパーとしても僕らはフリースタイルが流行った世代で、仲間とイベントをやってフリー・マイクになったらみんなでマイクを取りにいって、お互いにラップを披露する。だからクラブは最高の練習の場であり発表の場でした。TAICHIのスクラッチなんかは、もっとドープな、ひたすら地道な練習が必要だと思うんですけどね。
T: 最初は周りに誰もDJをやっている人がいなかったので、教えてくれる人がいないんですよ。だからレコード屋でミックス・テープを買って、それを毎日毎日聴いてDJの基本となるミックスの方法を聴きながら覚えました。スクラッチはクラブに遊びに行った時に……、あ、まだ高校生だったんで日曜とかにやってる昼間のイベントですよ(笑)。で、クラブのDJはみんなスクラッチしてるんで、「DJだったらスクラッチはできなきゃヤバいぞ」って。それから1年間くらいは毎日8時間とか練習してましたね。
S: 使い過ぎてバカになったフェーダーを外して持ち歩いて、時間があればそれでひたすら指の練習をしているって聞きました。
T: そうですね。その頃は音楽が好きという以上にターンテーブルが好きでしたから、ひどい時は24時間ずっとスクラッチしていたこともありますね。
 
 
では、話は変わりますがローランドやボスの製品で初めて使ったものは何か憶えていらっしゃいますか?
S:
ローランドの機種で思い入れがあるのはVSシリーズです。VSシリーズが発売された時、凄く画期的で、デジタルMTRの先駆けという感じだったんです。それこそスタジオで何100万円もするようなシステムをこれ1台でこと足りるっていうイメージだったんですよ。切り貼りも容易にできるし音が劣化しない。自分たちのミックス・テープを作る時でも自分たちでリマスタリングができるので、かなりの精度のものを作れるようになったんです。VSシリーズを使うことによって自分たちが出す作品の音質のクオリティが一気に上がったのは凄く嬉しかった。いわゆる宅録というものが僕の中で成立したのはVS以降なんですよね。
 
何年くらい前から使っていらっしゃるんですか?
S:
今から7年前くらいですね。最初はVS-880を使っていました。8トラック+仮想トラックも使ってフル活用しながらやっていましたね。物理的にフェーダーがあるのは分かりやすくていいですよね。今でも、仮録音とかをさせてもらう時に、みんなはパソコンのサウンドボードを使っていたりもするんですけど、僕はVS-1680を通してパソコンに音を入れ込んだりしているんですよ。そのほうがやっぱり音がいいんです。もちろんフェーダーも使いやすいですしね。まさにヒップホップを作るために機材ですね。
 
TAICHIさんが始めて使ったローランド、ボス製品は何ですか?
T: 僕は今使っているSP-404が初めてなんです。まだ初心者なので難しいことは分かりませんが、マイクですぐ音が録れるところと電池駆動できるところが凄く便利です。アダプターなしで持ち歩いてどこでも使えるんですよね。今はSP-404をライブでモジュールとして使っているんですよ。ドラムのキックの音をパッドを叩いて出して、お客さんを煽ったりしています。これはアナログとかCDJではできないことですよね。
SP-404



   
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