1951年ロンドン生まれ。73年ロンドン大学日本語学科卒業。74年来日。シンコー・ミュージック国際部入社。80年同退社。この頃から執筆活動、ラジオ番組への出演などを開始、また80〜86年までYMO(後にメンバー個々)の海外コーディネーションを担当。84年、音楽ビデオクリップ番組『ザ・ポッパーズMTV』(TBS系)で司会を担当、3年半続く。88年、CBS局制作の、社会問題を扱ったドキュメンタリー番組『CBSドキュメント』(TBS系)の司会を担当、現在に至る。96年開局のInter FMでは『バラカン・ビート』(日曜21〜23時)のDJ、NHK FMでは『ウィークエンド・サンシャイン』(土曜08〜10時)他で司会を務める。著書も多数。




昨年、ベスト・アルバムが出て、再びビートルズ熱が高まっていますが、ビートルズがデビューした頃、ロンドンにいらっしゃったわけですよね。当時、どんな印象でした?
僕が11歳のときにビートルズがデビューしたので、モロに影響を受けました。だから「印象」というよりも、僕のティーンエイジャーの時代そのものと100%かぶっているものですね。


じゃあ、ピーターさんも当時は熱狂的なファンだったんですね。やっぱり最初はイギリス国内のアイドルといった存在だったんですか?
当時は僕だけじゃなくてみんな熱狂的でしたよ。『プリーズ・プリーズ・ミー』 の頃はしょっちゅうTVやラジオに出ていたし、ブロマイドが飛ぶように売れていましたからね。僕も最初は半ばアイドル的に聴いていたんだろうけど、毎週末に友達とハーモニーをとって歌ったりギターを弾いたりしていたから、曲の良さもそれで分かってきたんだと思います。ギターは上手くはないですけど、それなりに弾いていました。すごく好きでしたし、60年代頃の子供はギターを鳴らしている子が多かったんです。 



現在のようなお仕事に就こうと思われたのはいつ頃ですか?
高校生の頃にミュージシャンになれればいいなと思ったこともあったけど、でもこの程度じゃ三流止まりだし、それじゃ面白くないなと思って辞めたんです。そこで実際につくることができないのであれば、それに近いことはなんだろうって考えて、ラジオで音楽を紹介する仕事がしたいな、と。だけどまさかできるとは思っていなかったし、とにかく就職することをあんまり本気で考えてはいませんでした。大学に入ったのも18歳で働くのが嫌だったから、というのが大きな理由でしたしね。


大学で日本語学科を選択されていますよね。どこの大学にもある学科ではないと思うんですけど、日本語を学ぼうと思ったのは日本に興味があったからですか?
不思議な話ですけれど、日本の文化も全然知らなかったし、日本に行こうと思っていたわけでもありませんでした。だから、いざ就職をしようという段階になっても日本語を勉強したからというのは全然関係なくて、とにかく音楽関係に進もう、取りあえず音楽の世界に入っちゃえば道がつながっていくかなぁ、なんて甘い考えで、最初はロンドンのレコード屋で働いていたんです。


それでつながった先がシンコーミュージックだったんですね。
たまたまシンコーがロンドンで“東京で2〜3年働きたい若いイギリス人求む”という内容の求人を出していたんですよ。その2〜3年が2〜30年になってしまった(笑)。今年27年目ですから。


来日当時、日本の音楽に対してどんな印象を持っていましたか。
僕の感覚に合うものだったという意味ではいいものはありましたよ。例えば上田正樹のサウス・トゥ・サウスとか、矢野顕子もデビューした時から好きでした。僕は大ブルーズ(日本語では通常ブルースと発音される)・ファンなんですけど、日本のブルーズの中には僕がのめり込むものはなかったね。ロックでも同じなんですが、ファンキーなものが好きでしたから、僕の感性に合うドラマーはあまりいなかったんです。日本のドラマーのリズムってわりと“白い”から、イギリス系の音には合うかも知れないですね。



 

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