森園勝敏
 
Profile:森園勝敏さん
1971年四人囃子でデビュー。プリズム、山内テツ&グッドタイム・ロールバンドなどに参加後ソロに転じ、ロック、ジャズを中心にソロ・アルバムの制作やセッション・ワークで活躍。様々なアーティストのプロデュースやアレンジなども手がける。1990年以降、主にジョニー吉長、金子マリなどと共に広く活動。また近年は「四人囃子 reunion」 のライブでも往年のファンを喜ばせた。2006年現在、自らのバンド「Public Saxophone」をベースにさまざまな活動を展開中。金子マリの新作『be-ethics』にもアレンジ&ギターで全面的に参加している。
 
今回のインタビューは日本のプログレッシブ・ロックの礎を築き上げてきたギタリストの1人、森園勝敏さんの登場です。森園さんは2月10日、渋谷のO-EASTで開催されたローランド サウンドスパーク 2007のステージで、米国フェンダー社とタッグを組んで開発されたボスの新ラインナップ「レジェンド・シリーズ」のFDR-1、FBM-1を使用し演奏をされました。今回は当日会場にお邪魔して「レジェンド・シリーズ」の使用感や音楽についてなど、様々なお話を伺ってきました。

好きな曲をひたすら耳で聴いてコピーしていた少年時代
 
まず初めに、音楽に興味を持ったきっかけをお教えください。
森園さん(以下、M): 小学校5年生の頃にベンチャーズが来日したこともあって、エレキギターに興味を持ち始めました。3学期の学期末のお楽しみ会で、ベニヤの板を切って作ったギターやベースで友達と当てぶりのバンドをやったのを憶えています。本物の楽器は誰も弾かなかったんですけどね。
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実際にご自身で楽器を購入したのはいつ頃ですか?
M: 中学1年生の終わり頃、新聞配達のバイトをして、エレキが欲しかったのになぜかフォークギターを買いました。でも弾いていたのはエレキの曲ばかりでしたね。あの時代、エレキギターを持っていれば不良、って言われちゃうからフォークを買ったのかも知れません。僕が買ったフォークギターは12,500円位でしたが、当時エレキギターは中学生とかには、やはり高価な品物だったので、あとはもっぱらエレキギターを始めたばかりの近所のお兄さんたちからギターを借りて弾いていました。高いギター持っている人に限ってあまり弾かないから借りやすかった(笑)。借りて半年くらい返さなかったりしてね。
 
楽器を購入されてから、すぐにバンド活動を始められたのでしょうか。
M: 最初は一緒にできるような仲間がいなかったんだけど、2つ上の先輩が毎週日曜日になると近所の河原で傍の卓球場から電源を引っ張ってきてよく練習をしていたんです。僕は最初は卓球場に通っていたんですが、面白そうだったから観に行くようになって、彼らの練習の合間にギターを借りて弾いていたら、次の日メンバーに入ってくれって言われて、それが最初にやったバンドです。当時は練習スタジオなんてまだ全然なかったから練習はもっぱら河原とか卓球場でしたね、うちのほうじゃ。 隣町の卓球場にかけ合って、日曜日の午前中なら使っていいよと言われたので、リアカーにバンド全員の楽器を乗せて練習に行ったりしてたんです。今はもう、リアカーなんて街中でもほとんど見かけなくなったけど、当時のバンドマンにとってはリアカーは必需品だったからね(笑)。
 
楽器を始められた頃はどのような練習をされていましたか?
M: 大体きちんと教わったことがないのに、どうやってコピーをしてたんだろうって思うんですよね。確か、当時はLPで教則レコードというものも多少はあったような気がするんですよ。好きな曲のカラオケが入っていて、最初のワンコーラス位をゆっくり弾いてくれて、譜面とかコードダイアグラムもついていたかな? それを聴いて、コピーしてたりとか。とにかく片っ端からベンチャーズのコピーをしていました。コードネームは殆どまだ知らなかったけど、ポジションはペンチャーズで覚えたんですね。だいたい聴いたことのある曲ばかりコピーしていたから、譜面もろくに読めなかったけど、耳で聴いて音が合ってればいいかぁって感じでした。
 
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影響を受けたアーティストや、人物はいらっしゃいますか?
M: そのバンドで杉並公会堂で行われたあるコンテストに出たんですが、ゲストでモップスというバンドが演奏して、あまりの違いに衝撃を受けました。その半年後くらいには高円寺にある楽器店が主催したコンテストを観に行って、今度はゲストで出ていたザ・ダイナマイツがモップスに輪をかけて凄いバンドで、もう完全にやられましたね。後の村八分のギターの山口富士夫氏がリードギターだったバンドでね。その後クリームやジミ・ヘンドリクスなんかを聴くようになって、今まで聴いていたギターの音とあまりに違うので驚いてすごくハマりました。ヤードバーズに関してはファズも持っていたし、フィードバックもできたのでどうやったらこういう音になるのかはまだ想像がついたけど、クリームになるともう何か根本的に違う気がしましたね。
 
レコードを聴いて、その音を再現したくてエフェクターを使い始めた
 
今、ファズを持っていたとおっしゃいましたが、いろんな音楽を聴いて、音の違いを感じてエフェクターに興味を持つようになられたということですよね。
M: そうですね。当時エーストーンのファズは2種類あったと思うんですけど、ファズ・マスター FM-1っていう値段の安いほう 、三角形のやつを買いました。音が良くてサステインがあって良かったですね。大体エフェクターといってもあとはアンプに付いてるリバーブとトレモロくらいしかないし、後でエーストーンのワウ・マスターも買いましたね。ペダルが電気ミシンのペダルとそっくりだった。
 
四人囃子としての活動を始められたきっかけは?
M: それは高校に入ってからですね。当時の公立高校は学校間の偏差値の格差をなくすための振り分けがあって、 僕は中学の時にバンドをやっていた同級生とは違う高校に行かされちゃった。で、その同級生の行った先の学校に「凄く手が動くドラマーがいるから観に来いよ」って言われて、後に四人囃子のドラムになる岡井大二と会ったんです。奴は当時からピンクフロイドが好きでよく叩いていたんですが、僕はスペンサー・デイビス・バンドとかアニマルズといったリズム&ブルースが好きだったから、岡井君がピンクフロイドのレコードに合わせて叩くドラムを聴きながらいつも寝てました。でもそのうち、岡井君と仲良くなって一緒にバンドをやろうという話になったんです。そして雑誌のメンバー募集欄でベースを見つけてバンドを始めました。
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それで最初の四人囃子が誕生するんですね。
M: その頃はまだ、「ザ」は座るって漢字で「座三人」って名前でしたけど……もう恥ずかしいですよ(笑)。あるいは他にもクリームをもじってムーリクとかクリープとか、あるいは他にもロス・プロレスとかグランド一周レイルロードとか、そんな名前ばかりつけてましたね。後から、同じ高校のピアノが弾ける奴をキーボードに引っ張り込んで、バンド名も四人囃子になりました。
 
ヤードバーズやクリームでロックの歪みサウンドに目覚めて、ピンクフロイドにもあまり興味がなかったのに、プログレに移行した理由はなんですか?
M: ピンクフロイドの『エコーズ』っていうアルバムが出た時に、大阪のフェスティバルホールまで聴きに行ったんです。そのライブの音が良過ぎて、そこで好きになったんです。PAなんて世の中にまだあまりなかった頃なんですが、SEをたくさん使っていてそれが会場中に飛び交ってるんです。ただギターでEmを弾いただけで鳥肌が立つような感覚、とにかくとんでもなくハイファイな音。僕らは、そのライブをこっそり録音していたので、それをコピーして3曲くらい自分たちのライブで演奏してみたら、思いのほか良くできたんですよね。そのライブを出版社の人が観に来ていてレコードを出すことになったんです。その時、高校3年生だったんですけど、それで大学に行く話はどっか行っちゃった。ちょうど学生紛争もピークだったから大学に行っても授業はやってなかったんですよね。
 
長年愛用しているOD-1は現役。現在でもレコーディングで活躍している
 
初めて使用したローランド・ボス製品が何か憶えていらっしゃいますか?
M: 中学の頃に使っていたアンプもエーストーンなんですけどね。切り返えスイッチが付いていて、下げるとベース・アンプで上げるとギター・アンプになるんですけど、それをある時階段から落っことしちゃったら、もの凄いオーバードライブするようになって、それはとっても気持ちよかった(笑)。そのアンプを使っていた頃はノン・エフェクターで演奏してましたよ。僕らが始めた頃はローランドやボスはまだなくて、エーストーンって名前だったからね。四人囃子でのライブで地方に行った時にファズを忘れて、ボスのサステナーを買ったのが最初かな。後になってテープエコー RE-201を買ったり、ゴダイゴがデビューする頃JC−160を使っていて、シャリーンとしたいい音でいいなぁって思ったのを憶えています。ボス製品を自分でいろいろ買うようになったのはプリズムに入ってからですね。ディストーション DS-1とオーバードライブ OD-1を買いましたね。和田アキラはコーラス・アンサンブル CE-1を使っていましたよ。
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その中でも特に使っていたのはどのエフェクターでしょうか。
M: OD-1とアナログディレイ DM−2かなぁ。OD-1は未だにレコーディングで使いますよ。その時から使っていたOD-1はCharの息子にあげちゃった(笑)。でもその後、やっぱり使いたくて同じものを買いなおしましたね。プリズムの時はDS-1を一番使っていたかも。コーラス付きのアナログディレイ DC-30も使っていました。



   
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