明和電機
土佐信道プロデュースによるアートユニット。1993年に兄・正道とともに結成。ソニー・ミュージックエンタテインメント専属芸術家を経て98年より吉本興業所属。兄・正道は2001年4月付で定年退職。ユニット名は、過去に父親が経営していた会社名からとったもの。青い作業服を身にまとい、作品を「製品」、ライブを「製品デモンストレーション」と呼ぶなど、日本の高度経済成長を支えた中小企業のスタイルで活動。魚をモチーフにした「魚器(NAKI)」シリーズやオリジナル楽器「ツクバ」シリーズ他のオブジェクトを製作。展覧会やライブ・パフォーマンスはもちろんのこと、CDやビデオ、本の製作・執筆、作品をおもちゃやアクセサリー、電気製品に落とし込んでの大量流通も行なっている。2000年グッドデザイン賞受賞(人間初受賞)、2001年にはフランス・イギリスで展覧会を開催、人気商品「魚コード」のアメリカ発売を開始するなど、本格的に海外進出を果たしている。

デビューのきっかけはソニー・ミュージックのアート・アーティスト・オーディションですよね。
そうですね。でもそれはソニー・ミュージックがやっているといっても、アートのオーディションだったんです。その時のデビュー作は楽器ではなくて、電話をかけると魚に矢が落ちる「ウケ・テル」っていう非常に恐い装置なんですけど、その後指パッチン木魚「パチモク」っていうのをやったらこっちのほうが受けてしまったんです。それで兄の発想で「コイ・ビート(鯉のぼり型手動式リズムマシン)」というのを作り、だんだん路線が変わり始めてきたんですね。じゃあ楽器をいろいろ作ってみましょうって言って、電気で動く楽器のシリーズを作り始めました。

単純にそれらをアート作品として発表するだけでなく、明和電機という企業の形をとったユニットで発表した理由も「目立ちたいから」なんですか。
そうです。僕の出発点は現代美術から入っているんですけど、ずっとこういうナンセンスな機械を作っていて、それを世の中に出す時に「芸術家ですよぅ」って言っても誰も見てくれないなと思ったので、「企業」という受け皿を作ったとも言えますね。それに、絵画と違って全部図面化できるものだったので、大量生産して売りたい気持ちがあったんです。それで、最初は「魚器商店」というアイデアで店やろうかなと思ったんですけど、カッコ悪いというかヌケが悪いんで、その時に親父がやっていた電機屋の「明和電機」にピンときて、名前だけいただいて、兄を呼んで始まったという感じです。

その時はもうお兄さんは働いてらっしゃったんですか? 確かマツダ・レンタリースとか。
兄ちゃん、プーでした。マツダ・レンタリースを辞めて、仙台でプーを……、アルバイト生活をしてました。僕も大学を修了して研究生として残っているプーみたいなもんだったんで、プー・プーで(笑)。

明和電機の作品は日常的なモチーフに、非日常的でナンセンスなアレンジをしていると思うんですが、そこが開発のコンセプトになっているんですか。
自分がツボにはまった面白い、アホらしいと思えるものを作り続けるというのが、なんというか、生きざまになっているんです。多機能で使い勝手がいいだけのモノは他の方に任せておいてもどんどんできますからね。

やはり面白いものを追求しているということは、音楽や製品において「お笑い」的要素も重視しているということなんですか?
どう転んでも「笑うしかない」ような作品を作りたいと思っているんです。大爆笑させるというよりも、弛緩したシニカルな笑いがこみ上げてくる、「えっ!何コレ?ふっふっ……ふふふ……」って苦笑してしまう、笑うしかないなって思えるものがいいと思いますね。

では、音楽の場合、プロデューサーである「経理のヲノ(ヲノサトル)さん」とはどういうコンセンサスをとって作っているんですか?
ライブの時には完全にヲノさんにパソコンで全楽器の制御をしてもらっています。YMOにおける松武さんみたいな感じですね。ヲノさんがうまいなと思うのは、アーティストというよりもデザイナー的な技量が高い人なんですよ。明和電機のバカ楽器を、どう出していくかという時に、見事に遊んでもらえましたね。この楽器の音自体はノイズなので、そのままやってしまうと本当に現代音楽と変わらない。お前はジョン・ケージか? ってことになってしまうので、2枚目のアルバムは誰もが知っているスタンダード曲をコピーしたんです。あとのアルバムはひたすら歌謡曲をやってますね。



 

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