近藤等則
Profile:近藤等則(トランペッター、プロデューサー)
本場ヨーロッパ、アメリカのジャズ・シーンで高い評価を得ている孤高のトランペッター。日本においても映画、CMなどへの音楽提供、出演など多数。1984年より近藤等則IMAバンドとして天安門事件への抗議ライブ、映画『てなもんやコネクション』テーマ曲など多方面で活躍の後、1993年から活動の拠点をオランダ、アムステルダムに移す。2000年「Mt. Fuji Aid 2000」、2001年「ダライ・ラマ14世提唱 世界聖なる音楽祭・広島2001」をプロデュース。また、ライフワークとする「地球を吹く」シリーズ(NHK)では、イスラエル・ネゲブ砂漠、アンデス山脈などの大自然と対峙して入魂の演奏を続けている。現在は2002年に結成した「FREE ELECTRO」やソロ活動で国内でのライブを再開。海外でも「CHARGED(with ビル・ラズウェル)」などのユニットなどで活動中。
 
今回のインタビューは近藤等則さんの登場です。近藤さんは自ら考案されたエレクトリック・トランペットを愛用され、エフェクターやシーケンサーを使用した音作りをなさっています。オランダを拠点に世界中で活躍される近藤さんの、日本での本拠地となるプライベート・スタジオにおじゃましてお話を伺ってきました。

楽器と人間の性格には相性の善し悪しがある 僕はトランペットとの出会いがなければミュージシャンになっていなかった
 
最初に音楽に興味を持たれたのはいつ頃、またどういったきっかけですか?
近藤さん
(以下、K):
おじいちゃんがホラ貝吹きだったから……という「ほら話」から始めてみようか(笑)。 小学校の頃は器楽部で中学1年からブラスバンド部、そこからトランペットを始めたんだよね。
 
その中でもトランペットを選ばれたのは?
K: 新入生は1週間くらいいろんな楽器をまず吹かされるんだよ。で、僕の場合はトランペットが一番よく音が出ていたんで、先生が「お前はラッパだ」と。
 
トランペットを指定されて嬉しかったですか?
K: うん。トランペットでなかったら僕はミュージシャンになっていないよ。楽器と性格の相性ってのがあって、僕はやっぱりラッパなんだね。戦場のトランペット、エンジェルのトランペット、戦いと平和、どちらでも吹く楽器だってところがいい。僕は短気で、そういう性格とトランペットっていうのが合ってたんだろうね。
 
その当時影響を受けたトランぺッターはいますか?
K: 当然、中学からジャズを聴き始めてね、サッチモからマイルスまで。中学2年の時に家に初めてテレビが来たのね。で、夕方部活から帰ってきてテレビをつけたら、NHKでデューク・エリントン楽団が生演奏してたのね。オー・イェー! と思って見てたんだけど、一番ビックリしたのが、ラッパ吹きながらみんな座って股を大きく開いてるんだよね。もうさ、次の日、部活に行ってさっそくみんなで真似してさ(笑)。 いや、形からって感じだけど、実は大事なことだったんだよね。バーンとしっかり腰入れないと吹けないから。
 
トランペットのスキルアップのために行われた、特別な練習方法などはありましたか?
K: 中学の時、自分の奏法、特にアンブシャーが間違ってるなと気付いたんだけど、正しい奏法を教えてくれる人が誰もいなかった。相当悩んだんだけど、ある時東京芸大の先生が僕たちを指導に来てくれたんだよね。その先生に、1人で練習している時から女の子が振り向くような音を出せって言われてね。 要は練習のための練習をするなってことだよ。
 
腹式やフィジカル面での練習もなさったのでしょうか?
K: やったやった。初めは京大医学部のボート部のトレーニング方法を参考にして、そのあと始めたのがハタヨガ(呼吸法を使用し、身体を通して行うヨガの総称)。で、24歳の時には、東京に出てきて新体道(青木宏之氏を創始者とする体術の1種)っていう武道を始めてね。その中で自分が求めている呼吸法ってものにやっと出会ったよ。
 
ミュージシャンとして生きたら、最後に笑って死ねると思った
 
プロになろうと思ったきっかけはありますか?
K: 僕は鍛冶屋の息子で、中学の頃からエンジン分解したりホバークラフト作ったりしてたから、当然工学部へ行ってエンジニアになろうと思ってたのね。それで京大の工学部へ入ったんだけど、やっぱりジャズがどんどん好きになってきて。で、20歳の時にエンジニアになろうかミュージシャンになろうか悩んでミュージシャンに決めた。自分が死ぬ時のことを想像して、ミュージシャンのほうが笑って死ねるなって考えたからなんだよね(笑)。
 
エンジニアにはないミュージシャンの魅力って何ですか?
K: ひと言で言えば自由だよ。だって、ジャズはかつて奴隷が作った音楽でしょ! やっぱり、自由に生きたいっていう気持ちのほうが強かったんだろうね。
 
ジャズは異国の音楽ですが、それを日本人がプロとして演奏することに何か思いはありましたか?
K: いずれはニューヨークに行って向こうの連中と一緒にやりたいと思ってたよ。でも20歳の頃の自分では、向こうへ行っても完全に負けちゃうじゃん? ニューヨークはジャズの本場だけど、勉強に行くという意味では絶対に行きたくなかった。行った以上は対等に演奏したい。で、29歳の時、「これなら」と思って渡米して世界中をバンドで周り、初めてトランペットで飯が食えた。日本にいる時には食えなかったんだから。
 
ニューヨークでの経験で感じたことはなんですか?
K: 自由で気持ちいいな、ってことだね。一番は英語の気持ちよさ。先輩のミュージシャンでも“You”でいいわけじゃん? 日本だとやっぱり目上の人に「お前」って言うわけにはいかないじゃない。1978年にニューヨークへ行ってすぐ、ジョン・ゾーンやビル・ラズウェルと出会うんだけど、あの頃は打ち込みが始まって音楽の変わり目の時期でもあったね。一番最初のデジタル・テクノロジーを目の当たりにして、このままだと僕は単なる音源提供者になってしまうと思った。テクノロジーを思いっきり僕の音楽の中に取り入れないとヤバいことになると。それで80年頃からどんどん機械にハマっていくことになるんだ。
 
作曲というのは、トランペット奏者とはまた違うコンディションで行うものですか?
K: 音楽にはコンポジション(作曲)とインプロピゼーション(即興)というものがあって、ジャズは即興のほうだね。「ジャズに名曲なし。名演奏あり」と言われるように、どんな曲でも即興が命。そうやって僕らはずっとやってきたわけだけど、まぁラッパだからメロディ・ラインは取ってるし、曲作れと言われればできるよね。
 
新しい音楽を追究するためにエレクトリック・トランペットを考案
 
ご自身の中で、アナログからデジタルへの切り替えに対しての違和感ありませんでしたか?
K: 絶えず変わっていく音楽がすなわちジャズだと思ってる。あの当時のジャズは、ロックやラテンなどあらゆる要素を取り入れて進化していったもので、僕はそれがカッコいいなと思って始めたわけだから。4ビートで止まってたら僕はジャズをやってなかったと思う。だから、どんどん新しいテクノロジーを取り入れて、ちょっとでも音楽の領域を拡げていくことが大切。それに、アコースティック・トランペットでできることは先輩方(サッチモからマイルスまで)がほぼやり尽くしたから、その後に出てきている僕としてはもう電気しかない。かと言ってトランペット用の機材なんてないから、最初は買っては試しのトライ&エラーだった。
 
エフェクターを使用することについてお聞かせください。
K: エフェクターのアイディアというのはほとんどトランペットの奏法から来てるんだよ。ワウなんて代表的だよね。あとディストーションも。サッチモの時代に生ラッパでディストーションをかけたような音を出している。そう考えると、ディストーションもフランジャーもラッパのイメージなんだよね。ジャズの素晴らしいところは、19世紀までの楽器を使いながら、クラシックでは出ない音を追求した点なんだよ。
 
曲作りでシーケンサーをお使いになるのは、やはりビル・ラズウェルの影響ですか?
K: 新しい音楽を作りたいという気持ちがあったからね。だからどんどん新しいテクノロジーを取り入れて、どう発展させて行けるのかなという追求のひとつとして使うんだ。この10年間は大雑把に言えば、21世紀の音楽を試行錯誤してみようという感じでやってきた。21世紀の音楽のキーワードは、ネイチャー、スピリット、テクノロジーだと思うんだよ。この三位一体の音楽が21世紀の音楽だと思う。特にテクノロジーは外すことはできないんだよね。音楽は新しいテクノロジーを獲得することで新しい表現を得てきたわけだから。西洋クラシックがなぜここまで世界を魅了したかというと、ホールを造ったりオーケストラ編成にしたりと、あの当時のテクノロジーを駆使したからだよ。新しい音楽の進化はまだ初期の段階だと思ってるのね。だってデジタル機材が一般化してきたのって1990年くらいからでしょ? それまでは機材の値段が高かったからね。これからは機材的にもいろいろな意味で進化していくべきなんだろうなと思う。
 
三位一体のスピリットというのは、音楽家としての精神ですか?
K: 音楽こそが魂の表現でしょ。死ぬ時まで、音楽とは何か?と追求するのが音楽家。それは魂の表現であり、自由の表現だと思う。
 
常に自由を表現されているわけですね?
K: リバティとフリーダム、両方とも「自由」と訳されているけれど、本来はそれぞれ違う訳をしなければいけないんだよね。リバティというのは社会の枠の中での自由、フリーダムというのは社会の枠を超えて初めて得られる自由。当然、音楽で求める自由とはフリーダムであってリバティじゃない。
 
デジタルを使って、ビートをも超えての自由とは、どういった観点から発見されたものなんでしょうか?
K: 20世紀というのは特に意識の解放といった世紀で、あらゆるものをぶっ壊して新しいものをみつけようという世紀だったわけ。音楽に限らず美術や演劇でもね。叩き壊さないと次のものが見えなかったんだ。21世紀は無意識の解放の世紀といえるかも知れない。
 
近藤さんはヒマラヤやアンデスなどでも演奏されていますが、自然の中で演奏することによって、分かってきたこともあるんですか?
K: 20世紀の音楽は一通り終わったと、じゃあ21世紀の音楽をどうやって追求しようかと思った時に、ネイチャーとというキーワードがあったわけだよね。地球の大自然の中で無心に電気ラッパを吹くという作業を実際に行ってみて、そこで感じたものをどうにかできないかなと。行ってみないと分からないってとこがあったな。
 
では、これからもいろいろな場所に出かけて行かれるつもりですか?
K: 12年間やったから自分がやりたかったとこまでは行けた。今度は「地球を吹く」という感覚をオーディエンスにも体感して欲しいと思ってる。8月には富士山の6合目で吹いてきたんだよ。12月にはHakuju Hallでライブをやるんだけど、屋内ながら「地球を吹く」ということを体感できる方法がないかなと思ってるんだ。



   
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