Profile:後藤次利
1952年東京都出身。30数年もの間、ベーシスト、作曲家、アレンジャー、プロデューサーとして日本の音楽シーンの代表的存在として活躍を続けている。2003年より自身のソロ制作、山木秀夫氏とのユニット「gym」、藤井尚之氏、斎藤ノブ氏とのユニット「Non Chords」を結成し、インストゥルメンタル分野に傾倒。また、新鋭の女性サックス奏者klammyと新ユニット「WAIP」を結成。5月10日にデビューアルバム『visual range』を、自らが立ち上げた新レーベル「TUTINOK」からリリースした。
 
今回のインタビューは後藤次利さんの登場です。後藤さんといえば、作曲家、アレンジャー、プロデューサーとして、数々のヒット曲を世に送り出してきた日本の音楽界のトップランナー。近年では、ご自身の音楽キャリアにおいての原点回帰ともいえるベーシストという立場でも積極的に活躍されています。作曲やアレンジについて、楽器選びのこだわりについてはもちろん、後藤さんが現在行われているプレイヤーとしての活動についてもお話を伺ってきました。

 
まずは音楽的な背景からお伺いします。初めはベースではなくギターをされていたみたいですが、いつ頃からギターを始められたのでしょうか。
後藤さん
(以下、G):
中学校くらいですね。いわゆるエレキ・ブームの時代だったので、カッコいいと思って始めたんです。ベースってなんだか分かんないですもん。よく聞こえないし、なんか「ギターより弦が少ないのがいるなー」と思うくらいで。
 
当時憧れていたギタリストはどのような方ですか?
G: その頃よく聴いていたのは、ウェス・モンゴメリーですね。
 
後藤さんご自身のプロフィールを読ませていただくと、林立夫さんに誘われてブレッド・アンド・バターなどのバックでベースを演奏することになり、これがベースとの運命の出会いだったと書かれていますね。
G: まぁ最初はギターだったんですけど、南正人さんのバックでベースを弾くことになったんですよ。でも、レコーディングではギターを弾いていましたね。ベースを始めた時は「じゃあ、やってみるかな」とか、そんなノリで……、ナメてましたね(笑)。でも、まだ20歳になるか、なる前くらいの話でしょ。その頃って今と違って、ここからがプロだとか、いつプロになったとか、そんなことも思ってなかったですし。プロを目指して学校へ行くとか、そういう時代じゃないですから、仕事とも思ってなかったですね。
 
ギターを弾いているのとベースを弾いているのと、ご自身の中でなにか違いはありましたか?
G: その頃は違いなんか分かりませんでしたよ。適当に弾いてたんじゃないですか(笑)。その頃、今の若い子と一緒かもしれないけど、音楽だけじゃなくバイトとかもやっていて、音楽の仕事もバイト感覚、そんな時代だったんです。話がそれますけど、19歳くらいの時、雑誌などの梱包のバイトをしていたんです。そこで知り合った人が九州の人で、その人が「自分の知り合いに良いミュージシャンがいる」って言うんですよ。その後、仕事で九州に行ったらその人も帰ってきていて、その良いミュージシャンのところに連れて行かれたんです。そしたら、その良いミュージシャンが鮎川誠君だった(笑)。
 
ベースはリズムですから、林 立夫さんと、リズム隊2人で練習をしていたんですか?
G: しないしない(笑)。そんなストイックな練習はしてないですよ。
 
一生懸命練習をしたなぁ、という時期はないのでしょうか?
G: どこを基準にして一生懸命かが自分でも分かりませんが、ストイックに練習をしていた思い出はあまりないですね。それなりに指の練習とかはしたと思いますけど、ご飯食べる時も楽器を放さず、みたいな話はまったくありません。
 
しかし、周りの多くのミュージシャンから「一緒にやらないか?」と誘われていたわけですから、上手かったってことですよね。
G: 分かんないですね。他に人がいなかったのかも知れないし(笑)。でも、林(立夫さん)は当時から上手かったですよ。うん、林(立夫さん)はちょっと群を抜いて冴えていました。
 
ギターといえば石間秀樹さんとか、鈴木茂さんとか、そういう方もやっぱり上手かったんですか?
G: 石間さんは全然先輩で、仕事で知り合う前からよくライブを見ていましたけど、カッコ良かったですね。茂(鈴木)は同じ歳で高校時代から知ってますけど、ちょっと違いましたよ。茂(鈴木)も林もモノが違うというか(笑)。自分のことは分かんないけど、人のことは分かるんですよね。やっぱり、モノが違う人には練習じゃ追いつかないんですよ。早い話が練習しても無理なんです(笑)。もちろんみんな、それぞれ練習はしてるんだろうけど、それぞれの適正ってあるじゃないですか。こんなこと言ったら、これから音楽を志す子は夢もなにもなくなっちゃいますけどね。
 
 
ベーシストになられた後、今度はアレンジの活動に入られますよね。分厚い本を片手に勉強しつつ、とプロフィールに書いてありましたが、それはやっぱりアレンジをするための勉強だったんですか?
G: かじる程度に本を見るという感じです。V-Bassを使っていて、分かんない時にマニュアルをちょっと見る、そんな程度(笑)。頭からマニュアルを読もうなんて気はないんです。分かんない時の助け舟。演奏の練習もそうですが、勉強にしても大体がそんなストイックにするほうじゃないんですよ。ただ、できないと悔しいから。
 
アレンジャーは、鍵盤の方がされることが多いと思うんですが、後藤さんの場合ギターやベースをされていて、そこからアレンジを勉強されるのは結構大変なことだったのではないでしょうか。
G: まぁアレンジといっても、クラシックみたいな大編成のものをやるわけじゃなくて、僕らが要求されたのはリズム主体の曲ですからね。今でももの凄い交響曲みたいなもののアレンジをやれって言われたらつらいですよ。また分厚い本と格闘しなきゃいけないかも知れない(笑)。
 
昔はアレンジャーとプレイヤーが別だったと思うんですが、後藤さんはプレイヤーでありアレンジャーでもあるという存在の先駆けだと思うんです。
G: ああ、確かにね。凄い名門の音楽学校を出てアレンジをやっている方たちはいっぱいいたけれど、楽器のプレイヤー、スタジオ・プレイヤーとかバンドをやりながら、ポップスシーンにアレンジャーとして出てきたのは坂本龍一とか、僕や茂(鈴木)、井上鑑とかそういう世代が最初でしょうね。
 
アレンジャーとして、ロック、ポップス、あるいは歌謡曲とジャンルの隔たりなく、いろんな音楽を手がけてこられましたが、それぞれに面白いアレンジをされていますね。
G: 基本的に頼まれたことが上手くできないとイヤなんですよ。別に、ジャンルは関係ないんです。「僕は演歌はイヤです」とか、そういうのないんですよね。例えば演歌でも、歌い手さんや僕に依頼した人間が面白ければやりたいと思う。「あーこの人」と思ったらジャンルなんてどうでも良いんですよ。だから、よく分かんないジャンルなんていっぱいありますよ。そういう時には、例えば演歌なら誰かの演歌のCDを買って来て、ずっと曲を流しておいて、自分が演歌の人になりきってから曲を作るんです。今でもタンゴの曲を頼まれたら、分かんないからタンゴのCDを買ってきて曲を流しといて、聴きながらアレンジを考えるでしょうね。その世界の人になりきる、まぁ「音のコスプレ」ですね(笑)。なにかできないことがあると悔しいじゃないですか。本物の人には全然かなわないかも知れないけど、頼まれた以上はとりあえずは聴けるところまでできないとね。
 
たぶん今、若い人はコンピューターで作曲する人が多くて、作曲=アレンジまで、という人がたくさんいると思うんですけど、そういう人たちになにかアドバイスするとしたら、やはり音のコスプレですか?
G: それはないですよ(笑)。今の話はただ、僕がいろんなジャンルをやっていたからで、別に「自分はこれだけだ」っていう人は、それで良いんじゃないですか? でもやっぱり、楽器をずっとやってきたから「停電に強いぞ」ってところは強みですかね。停電してもちゃんとやれるぐらいの音楽は身に付けておいたほうが良いですよ。停電でも、僕たちの世代は若い世代に負けない(笑)。でも、パソコンは便利だし、最高じゃないですか? 僕だって今、パソコンがなかったら面倒臭くてやってられないですよ。
 
どういうワークフローで曲を作られるんですか?
G: 僕の場合はまず、頼まれた歌い手さんがライブでどういう風に見えるか、どういう風に登場したらカッコいいかなとか、そういう風に考えますね。まだ最初の段階ではベースとか、音楽的なことは考えません。
 
それはもう、プロデュースする感覚に近いのではないでしょうか。
G: プロデュースですかね。自分がその人に憑依して考えられるようなところまで持っていく、また、それとは別に俯瞰で見る目の両方がないとダメですね。音楽的なことはそんなに考えなくていいんですよ。それよりも他にもっと見るところがあると思う。というか、そういうやり方のほうが僕は好きですね。



   
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