Profile:Geoffrey Downes(ジェフリー・ダウンズ)
プログレッシブ・ロック・グループ、エイジアのキーボーディストで、バンド設立当時からのメンバー。1982年にファースト・アルバム『詠時感〜時へのロマン』を発表、「時へのロマン」、「ヒート・オブ・ザ・モーメント」などのシングルがヒット。その後も精力的に活動し、2004年に12枚目のアルバム『サイレント・ネイション』を発表。エイジア以前にはバグルスでメガ・ヒット・シングル「ラジオ・スターの悲劇」をリリース。またプログレッシブ・ロック・グループ、イエスのメンバーとしてアルバム『ドラマ』(1980年)にも参加。最近ではジョン・ウェットン(エイジア/キング・クリムゾン/ユーライア・ヒープ)とのコラボーレーション・アルバム『アイコン』(2005年)のリリースをはじめソロ活動も積極的に行っている。
公式ホームページ  http://www.geoffdownes.com/
 
今回のインタビューは前回に引き続き、2月11日(土)、東京のShibuya O-EASTで行われたサウンドスパーク 2006の楽屋で行ったインタビューをお届けします。第2弾は、V-Synth、Fantom-X8、新製品のJUNO-GとVP-550を駆使して素晴らしい演奏を聴かせてくださったジェフリー・ダウンズさんの登場です。

 
世界的に有名なキーボーディストであるジェフリーさんですが、まず初めに、キーボードと出会ったキッカケからお聞かせください。
ジェフリーさん
(以下G):
父親がチャーチ・オルガンを弾くミュージシャンだったので、もともと家庭が凄く音楽的なんです。私も6歳からピアノの演奏を始め、クラシック・オルガンなども始めて、11歳の時にバンドを組んで、そこからキーボードを弾くようになりました。当時は主にポップ・ミュージックを演奏していましたよ。その頃はキーボーディストがバンドの中では目立つ存在ではなかったので、後ろでサポート的な役割を果たしていたんですが、キース・エマーソンというキーボーディストが登場して……。彼はバンドの中でも主役のように出てきてステージの中央でキーボードを弾いていたのでとても影響を受けました。
 
キース・エマーソンのバックグラウンドにはクラシックの影響もあるような気がするのですが、ジェフリーさんも6歳からピアノを習われていますし、バックグラウンドにクラシックの影響があるのではないですか?
G: そうですね。自分にもクラシカルなバックグラウンドはあると思います。幼少時代から家の中でクラシック・オルガンなどの音楽を聴いて、19歳の時に音楽の大学に行きました。そこではクラシックとモダンな音楽を半々で勉強しました。そして大学で初めてシンセサイザーに出会ったんです。大学にEMSのシンセがあって、興味を持ち、シンセをいじるようになりましたね。
 
当時はシンセサイザーがとても高価なものだったと思いますが、ご自分でも何か買われたのでしょうか?
G: 学生には高価過ぎたので自分では買っていません。3年間大学に通いましたが、当時の私の機材はフェンダー・ローズとハモンドオルガンでした。大学の友人がミニ・ムーグを所有していたので、大学の最後の1年間は借りていました。大学を卒業してからセッション・ミュージシャンを始めて、1976 年にボーカリストのティーナ・チャールズ(Tina Charles)のオーディションを受け、バンドリーダーだったトレバー・ホーンと出会ったんです。トレバーが私を採用した理由の1つは、私がミニ・ムーグを持っていたからなんですよ(笑)。
 
そのくらいシンセサイザーが高価な機材だったんですよね。
G: そうですね。当時はとても高かったですよ。私も大学を卒業したばかりで生活もやっとできるくらいでしたから、5年後にムーグを買って、その後はどんどん機材が増えていきました。
 
当時はローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンなど、ギター・サウンドが主体のロックンロール・バンドが多く活躍していましたが、シンセサイザーはロックンロールに対抗するために必要なものだったのでしょうか?
G: 当時、ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンなどの音楽もありましたけど、私自身はあまり聴いていませんでした。どちらかというとバンドの中でキーボードが活躍しているEL&Pやイエスに影響を受けましたね。そしてバグルスというギターがいないユニットができました。バグルスは私にとって、電子音楽を作る最高の実験の場でした。ちょうどバグルスが結成された頃は電子音楽がだんだん構築され始めた頃でしたが、ローランドをはじめ、日本の電子楽器メーカーが登場してきた頃でもありましたね。そういう初期の頃を自分で体験できたことは凄く良かったと思っています。
 
 
では、初めて使用したローランド/ボス製品を憶えていらっしゃいますか?
G: 80年頃にSH-101を使いました。SH-101を使う前にはバグルス時代にスペース・エコーRE-201とラックマウントのボコーダーを使っていました。実は自分の機材の中には、ローランドの機材をぎっしり詰め込んだ「ローランド・ラック」というものがあって、そこからSH-101、Jupiter-8、シーケンサーのMC-8をよく使っていました。それからSystem-700、System100Mも使っていましたね。当時私のキーボード・テックは、今、映画音楽のコンポーザーとして活躍しているハンス・ジマーだったんですが、System-700、System100M、ムーグのモジュラーシンセを使って音作りに参加してくれました。バグルスの「プラスティック・エイジ」という曲では最初から最後までSystem100Mのシーケンスを使っているんですよ。最初からシーケンスを流して途中からスィープをかけて変化を付けていますが、全編に使っていますね。
    ▲SH-101
▲Jupitr-8
 ▲System-700
  ▲System100M
ローランドとの付き合いは、バグルス、イエス、エイジアとキャリアが増えた後でも同じように使い続けてこられたんでしょうか?
G: バグルスの後にイエス、エイジアと続いて、イエスの時代はローランドのボコーダーを多用しました。エイジアの時はローランドの鍵盤はあまり使っていませんでしたが、エフェクターはたくさん使っていたんです。エイジアの「オンリー・タイム・ウィル・テル」という曲ではシンセ自体はムーグのシンセなんですが、当時は凄くスペース・エコーを気に入っていました。アナログのスムーズなカーブがあってよく使っていました。



   
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