Profile:渡部チェル(わたなべ チェル)
1968年東京生まれ。早稲田大学在学中に21歳で伊秩弘将のツアー・メンバーとしてプロデビュー。現在では音楽制作の場でも活躍し、『ポケットモンスター』、『クレヨンしんちゃん』をはじめとする数多くのアニメソングの作曲・編曲や、松浦亜弥、タンポポなどつんくファミリーの編曲を手掛けている。また、1988年から宗修司(2001年急逝)が率いるSOH BANDに参加、シンセサイザーを担当。SOH BANDは地底レコードから96年に『No Problem At All』98年に『死ネバ馬鹿モ治ル』と2枚のアルバムをリリースし、今年は3枚目となるアルバムの制作を予定している。
 
 
 
さて、今回のインタビュー、現在人気アニメの挿入歌から「つんくファミリー」系歌モノの編曲などで活躍の目ざましい渡部チェルさんの登場です。今回は音楽制作だけでなくSOH BANDのキーボーディストとして超絶技巧を披露する渡部さんに、ご自身の音楽遍歴からプロの制作の現場やライブで必要な事など、「渡部チェルの音楽ができるまで」に関するお話を伺います。
   
 
キーボードを始めたのはいつ頃ですか?
渡部
(以下W)
最初はピアノを幼稚園の頃から習い始めました。でも、その後バンドをやりたいと思った時は最初はキーボードではなくドラムやギターに興味を持ちましたね。でもどれも続かなくて、最終的にキーボードに落ち着いたのが中学生の頃です。
 
 
ピアノを習っていたのにまずキーボードを選ばなかったのは何故ですか?
W
イメージですかね。ピアノに対しては習わされているという意識があったので、あまりいいイメージを持っていなかったんです。それにTVで観て、演りたいと思った楽器がギターやドラムだったんですね。一番最初にかっこいいと思ったのがジェフ・ベックで、彼は今でも好きなミュージシャンですね。
     
 
ではバンドを始めたのは中学生の頃ですか?
W
中学の頃は先輩のバンドを手伝うような感じでした。僕が通っていた中学ではバンドを組むような人はツッパリ系の人ばかりで、キャロルのコピーバンドしかなかったので(笑)、「ファンキー・モンキー・ベイビー」の1曲だけピアノが欲しいと呼ばれては弾く、という感じでした。自分のやりたい音楽でバンドを始めたのは高校に入ってからです。
   
   
それはどんなジャンルの音楽でしたか。コピーしたバンドはありますか?
W
フュージョンですね。オリジナル曲はメンバーが1曲づつ作ってきて、ちょこちょこ演奏する程度で、ほとんどがカシオペアとかT-スクェアのコピーでした。
   
日本のバンドではなく海外のバンドはコピーしなかったんですか?
W
それは時代背景的なものだと思います。高校生の頃はちょうどレコードからCDへ移行する時期で、海外のミュージシャンのレコードのほとんどが廃盤になって、CDで再発されるのを待つという状態だったんです。ボロボロのカセットしか手に入らないからコピーするのに適さなかったんですね。大学に入ってからはチック・コリアやハービー・ハンコックをはじめ洋楽もたくさんCDで再発されたので、逆に洋楽ばかりになりました。大学に入ってからはフュージョンだけでなく、活動するバンドの数がもの凄い勢いで増えてしまったので、やれといわれた事をやるので手一杯でした。
   
 
バンドを7つも掛け持ちしていた事もあるそうですが、それはその頃のことですか?
W
そうです、大学の2年目からです。その頃からプロを意識して活動を始めていたので大学内に4つ、大学以外で3つのバンドを掛け持ちしていました。毎日夕方からリハをやって、リハ代がないから昼間は学校に行かずにバイト、という生活を半年くらい続けていましたね。
     
   
多くのバンドを経験した事はどんなメリットがありましたか?
W
同時進行でいろんな事ができるようになった事と、作業が速くなった事と、セッティングとバラシが速くなった事などの仕事的な面では勉強になったと思います。音楽的な事に関することは、追い立てられてやっているうちはあまりは身につかないんです。それよりもっと落ち着いてから、だからその2、3年後にやった事のほうが音楽的に勉強になる事が多かったです。
   
 
     
 
プロデビューのきっかけはなんですか?
W
今話をしたバンドの中の一つがSPEEDや渡辺美里さんのプロデュースをされている伊秩弘将さんのバンドで、彼がソロデビューをする事になったんです。ただライブなどは今の自分のバンドでやりたいということで、何度かオーディションを踏んでツアーメンバーになりました。それを2年くらい続けた頃に、まだプロとしてやるのは時期尚早だと言われて、ツアーの時に知り合った人の紹介であるキーボディストのボーヤをすることになりました。一度プロとしてステージに立ちながらボーヤに戻るという、あまりないパターンを踏んでいるんですよ。
   
 
そのボーヤ時代が、先程おっしゃっていた音楽的に勉強になったという経験ですか?
W
そうです。それまで第一線で活躍しているプロの音やプレースタイルを目近で見る事がなかったので、音楽的に一番大きい経験でした。意識改革とも言える程、そこで音色の趣味やプレースタイルが180度変わったんです。僕はよく、ステージでの音のヌケが良くないと言われていたのですが、プロの作る音は、バンドの中で出す音とキーボード一台で出す裸の音とが全然違うのでとても勉強になりましたね。下働きでもしないと裸の音とバンドの中で鳴る音を実際に聴き比べる機会なんてありませんから。ピアノよりシンセサイザーのほうが好きになったのもその頃です。
 
それは自分の音が作れるという事に興味を持ったという事ですか。
W
そうですね、それまではピアノを弾いているほうが好きだったんですけど、出したい音のイメージができてからは音作りが楽しくなってきたんです。
   
   
シンセの使いはじめと言えば、初めて買ったローランド製品は何か憶えていますか?
W
D-50のラック版、D-550を買ったんですが、スライダーが一つもなくて当時は音が簡単にできなかったのであまり使わずじまいでした。でも僕がボーヤをやっていた人がD-50を使っていたので、持っていたD-550を売ってD-50に買い換えました。スライダーが一つ付いただけで音作りが格段にしやすくなったので、その後はかなり音作りにのめり込みましたね。使い倒して鍵盤がヘタってきちゃったので、またラック版を買い戻して今現在も使っています(笑)。なかなか遠回りをしていますが、今はコンピューターでエディットできるようになったので鍵盤を使わなくても操作は楽になりました。
 
     
 
今は音作りをあまりしないで内蔵の音をそのまま使う人が多いですが、チェルさんにとっては音作りのほうが楽しい?
W
楽しいというより、既成の音があまり自分にしっくりこないんですよ。近い音は選べるんですが、エンべローブだけでもいじらないと曲にはまっていかないし、弾いていてしっくりこないんです。ストリングス系の音に多いと思うんですが、リリースが長い音が気になるんですよ。だからプリセット音でもサンプリングCDの音でも、使う時はリリースを短かく切ってアタックが鋭くなるように手を加える傾向がありますね。
     
   
渡部さんは編曲の仕事もされていて、歌モノも多いですよね。
W
露出的に歌モノのほうが多いのですが、実際編曲の仕事の中では割合が少ないんですよ。一番多いのはアニメの劇版で、ほとんどインストなので今までの経験もそこそこ活きていますね。
     
   
アニメの音楽を作る場合はストーリーを気にして作るんですか?
W
ストーリーが大体決まっている場合もあれば、全く決まっていない状態で作る事もあります。情報が外部に洩れてはいけないという事で資料もほとんどない場合もあるんですよ。
     
 
曲をつくる時のワークフローはありますか?
W
アニメの劇版は1番組あたり4〜50曲、多くて6〜70曲程度を3週間くらいで作らなくちゃいけないんです。だから何か閃いたら片っ端から打ち込んでいかないと追いつかない。とにかく形にしていかないと話が始まらないので、ループ、メロディ、ドラム、コードと、なんでも先に浮かんだものを打ち込んでいくんです。今、シーケンサーに関してはデジタル・パフォーマーを使っているんですけど、同時にソフトシンセが3つ立ち上がるようにして、すぐ音が出せるセッティングになっています。昔だったらドラムはどの音にしてギターはこの音で…ってセッティングが大変でしたから、とても助かっています。
     
   
自宅のスタジオはやはり機材がたくさん積まれている状態ですか?
W
ソフトシンセ中心になってきたので縮小されましたね。ミキサーもコンピューターのPCIカードのDSPに任せちゃってるので、ミキサーすらないですよ。
     


 

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