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| Profile:青山 純(あおやま じゅん) 高校時代にヤマハのドラムスクールに通いながらアマチュアバンドを組む。卒業後、プロとして活動を開始。1979年スクエアに参加した後、プリズムの正式メンバーとなり3年間在籍する(1981年まで)。ちょうど同じ時期、山下達郎と出会い、レコーディング、ステージに参加。以後、山下達郎に関するほとんど全ての活動に携わるようになる。その後も、今井美樹、甲斐よしひろ、中島みゆき、山下達郎、徳永英明、Misiaなどのツアーに参加。2002年は山下達郎バンドメンバーでNelson Super ProjectとしてNelson Magicをリリースした。現在、依然として山下達郎のレギュラーメンバーでありつつ、幅広くスタジオワークを中心に活躍。今や日本の中心的存在のドラマーであり、レコードに収められた彼のタイトなプレイは枚挙にいとまがない。 |
| 今回のインタビューは山下達郎さんのライブやレコーディングでお馴染みのドラムの青山純さんです。青山さんといえば、ドイツ製生ドラムの銘記「ソナー」の使い手として有名ですが、昨年からのMisiaツアーではV-Drumsも使用されていています。当日は、青山さんと古くからの知り合いというローランドのスタッフと一緒に、青山さんのご自宅におじゃましてお話を伺いました。 |
| ドラムを始めたのはいつ頃ですか? | |
| 青山(以下A)本格的に始めたのは高校生になってからかなぁ。最初の頃はパールの練習台を叩いていました。実家はマンションだったんですけど、やはり苦情が来ましてね(笑)。練習時間が夏は夜7時まで、冬は6時までと決まっていました。 | |
| ローランドスタッフ(以下R)昔はみんな厚めのマンガ雑誌を練習台の代わりにしていましたよね。あれでダブルの練習をすると跳ね返りがないから難しい。 |
| A | そう、少年マガジンとか。ドラム・セットなんて滅多に叩ける環境じゃないから、練習台で一生懸命音をイメージして練習するんだよね。そういうイメージ・トレーニングは今でも役に立っていると思います。そして練習スタジオをとって一人で生ドラムを叩きに行くんですけど、その頃は練習スタジオなんてほとんどなかったから、後に活躍するような人たちはみんな顔見知りだった。僕たちも恵比寿の某ビルにあった練習スタジオで知り合ったんですよね。 |
| R | その恵比寿のスタジオにはCharさんとか渡辺香津美さんも来ていましたね。 |
| どんな音楽に影響をされていましたか? | |
| A | やっぱり音楽を始めたきっかけはビートルズです。あとはレッド・ツェッペリンの「ブラック・ドッグ」……、あれには衝撃を受けました。その後18歳でドラム・スクールを終了して、ベースの伊藤広規さんを始め、いろんな人に会って一緒に演っているうちに黒人音楽にハマっていくんですよ。 |
| 山下達郎さんと一緒に演るようになったのはどういう流れだったんですか? | |
| A | ドン・ルイスの日本公演で吉田美奈子さんと一緒に演って、それで達郎さんを紹介されたんです。最初に広規さんと一緒にメンバーに入るための試験みたいなセッションをやったんですが、そのとき達郎さんが出してきた譜面が、6/8とかおよそロックしかやっていないドラマーだと叩けないようなパターンだったんです。僕は好きで練習していたから叩けたんですが、すると「何でこんなの叩けるんだ、お前何歳だよ」って怒る(笑)。僕は当時まだ22歳くらいの駆け出しだったんですが、彼はこれで今までできなかった曲ができるようになるかも知れないと思って僕たちに決めたんだと、だいぶ後になってから聞きました。 |
| 山下さんは演奏に対してどんなオーダーをされるんですか? | |
| A | 彼もドラムスが好きで、趣味の範囲で叩く人ですけど、細かい注文をつけるようなことはしませんね。達郎さんと一緒に演るようになってから、音の抑揚や感情の起伏、曲想の表情付けみたいなものを考えるようになりました。いい勉強をさせられましたね。 |
| 最近RCAリマスターのリリースに合わせたツアーをされていましたが、けっこう長丁場でしたよね。 | |
| A | 33本です。それが1ステージ3時間半(笑)。初日は終わったら放心状態ですよ。達郎さんは「今回はRCA時代の作品だからベースとドラムは寝ててもできるだろ?」って言うんですけど、冗談じゃない(笑)。毎回トレーナーにマッサージでほぐしてもらわないと、次の日連チャンだともう身体がもたないの。でもやり遂げましたけどね(笑)。 |
| 山下達郎さんのような日本のポップを切り開いてきたミュージシャンと、新しいポップを作るMisiaのような新しい世代のミュージシャンの両方と演っていらっしゃいますが、世代のギャップなど不安はなかったですか? | |
| A | 最初はやっぱり、彼女もファンの人たちも自分の娘と言ってもおかしくないような年代ですから、僕も広規さんも自分のスタイルが果たして受け入れられるのか心配しましたけど、実際蓋を開けてみると心配するようなことはありませんでしたね。やはり音に対する感覚的なものは同じなんです。演奏していて鳥肌が立つような感覚を覚える場面がありますよね、そういう部分が彼女も僕たちも同じでしたから。だからMisiaのツアーは、自分がまだまだいけるなという自信に繋がりましたね。もちろん怠けちゃだめだとは思いますけど。 |
| Misia ツアーではV-Drumsを使用されましたが、使うことになった経緯は? | |
| A | それまで彼女のライブや録音では、ドラムはずっと打ち込みだったらしいんですが、ハウス系の音だと生ドラムは合わないし、アリーナ・クラスのツアーだったので、V-Drumsを使ってくれませんかとオーダーがあったんです。だから、ソナーとV-Drumsの両方を使うことになったんです。 |
| R | マジックみたいにパッと消えて2つのセットを移動してるんだよね、客席から見ていると本当にいつ変わったのか分からない。アレ凄かったなぁ。 |
| A | 暗転したらサッと移動するんだけど、慌てちゃってヘッドフォンとかマイクまで持って行きそうになったりして。でも、V-Drumsはツアーの間、スタッフに凄い人気でしたよ。他のミュージシャンがリハの合間にV-Drumsで遊ぶんです。秋にはまたツアーが始まりますから、さらに進化したV-Drumsの演奏を披露しますよ。 |
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